ハムスターの頬袋

さっきのお昼ご飯は、わたしがパソコンにへばりついていたので、相方が出汁巻卵を焼いてくれた。以前、書いたように彼の出汁巻はちょっとしたものだ。何の不足もない。

焼き上がった卵には何の不足もないが、問題は量だ。

たった2人の昼食に卵を6つ割る。それに出汁を入れて焼き上がった卵焼きは結構、大きなサイズで、3つある。

「後の1個はどうするの?」

「また、晩にでも食べる」

えっ、今日の夕食は我が家特製の、温泉卵と焼きなすの入ったシーザーサラダですけど。

 

こういうことは、しょっちゅうある。

何でも多め。

買い物の時点から。

 

例えば、鮭の塩焼きにしようとスーパーで鮭を探すとする。

老夫婦2人だけなら2切れでしょ。

それなのに彼は足りないと言い、3切れ買う。それも厚切りのやつ。

他のおかずも作るんだよ。食べ過ぎでしょ。

心の中で思っても口には出さない。

何度も何度も注意したけど、けんかになるだけで、好転などしないこと、分かってるから。

スーパーで目に付いた好きなもの、小さいジャガイモとか竹輪とか、だまってかごに入れる。いつ食べるのとか、何に使うのとかも、もう訊かない。

 

自分で料理できるご主人でいいわね、羨ましい などどおっしゃる方もいるが、とんでもない。できない方が可愛い。

 

彼もわたしも戦後10年内の生まれではあるが、ひもじい思いをしたことはない。

彼は4人兄妹の3男だったことが少しは関係しているのかも知れない。

 

ハムスターが食べ物を1度、頬袋に入れるみたいに、彼は好きな食べ物を見ると買って冷蔵庫にしまい込む。

 

コロナ禍の前なら毎日、買い物に行ってたから、じゃあ、明日の食事に使おうってできたけど、今は3日分、メニューを決めて買い物してる。

でも、いくら説明しても「そんなに高いもんじゃないから」って。

そういう問題じゃないんですけど。

 

早起きの彼は6時ころから台所でごそごそして、わたしが起きた頃にはボール一杯のポテトサラダが冷蔵庫の中に鎮座している。

またかぁ。何回かに分けてこれを食べ続けなければならない。

他のメニューとの組み合わせなんか、彼は考えない。自分の好きなものなら、毎日でも食べられるのだ。わたしは飽き性だから何日も同じものを食べたくない。

でも、けんかしたくないから、「あら、ポテトサラダ、作ったの」っていうだけ。

 

もし、わたしの方が先に死んでも、彼は食事に困ることはないっていう安心感。

1つだけ、いいこと、あったな。