俳句の神様
昨日、封書が来て、月2回の俳句の教室が再開されるとのこと。
来週の木曜日に自由題で5句、必要だ。
今朝、Nさんからメールが入り、毎月第2月曜の句会が、これまた再開されることとなった。
こちらも5句必要だ。
2,3日前に、3句と5句を何とか形にして、句誌に送ったばかりなのに。
コロナの新規感染者の数が減って来て、ようやく俳句が書けるようになってはきたが。
ブログはいいことも悪いことも書ける。いい意味でノールールだ。
だから、コロナの間も、いや、コロナだったからこそ、毎日書いてきた。
しかし、俳句は季語が必要なこと、できるだけ17文字、それも5、7、5、であること、そしてできるだけ美しく詠むこと とルールが多い。まあ、結社によるけど。
例えば夏の季語の「森青蛙」。これだけで7文字、残り10文字だ。同じく夏の季語でわたしの大好きな「泰山木の花」。こっちは9文字、残り8文字。もっと長い季語もあるけど、どんどん詠みにくくなる。難しくなる。
制約が多いほど、気持ちにゆとりが必要になる。
句帳、わたしのはノートだけど、を見返すと、3月、4月、5月と進むに従い、句数は何とか保っているのだが、書いた句に自分で付けたバツ印がどんどん増えていく。5月26日、14句詠んで、バツのないのは2句だけ。
その後の亀虫騒ぎから何か吹っ切れたみたいで、少しづつましな句が詠めるようになってきてる。
なんとまあ、デリケートなことよ。
まあ、元々、神経だけは細いんだ。
さて、今から と思うんだけど、なかなか俳句の神様は降りてきてくれないんだ。
ちょっと早いけど、おやつでもして、待っていよう。