選ばれる
ずーっと鬱陶しい話ばかり書いてきてごめんなさい。
自分がつらいことは他の方が読んでも楽しいはずはないのにね。
先週、母が亡くなった翌日にわたしが入っている俳句の結社の9月の句誌が届いた。
ほりっ放しにしていたのだが、今週になって手に取った。
いろんな俳句に関する記事のほか、「雑詠」という30ページがあり、これが一番気に掛かる。専用葉書で主宰当てに出した自作の句(以前に発表したものでもよい)5句のうち、良い句を最低3句、普通は4句、良い句がそろっていれば15名だけ5句全部、載せてもらえる。
俳句を始めた頃はずーっと3句で、今、読み返すと恥ずかしくて顔が紅くなるようなものばかりだった。
それが1年半ほどして4句載せてもらえることが増え、今は安定して4句だ。
この5年半の間に3,4回、5句載せてもらったことがあったが、いつも15人中15番目だった。
今回の「雑詠」へも170人以上の方が投句なさっていた。
そして、久しぶりに5句全部載せていただいた。
おまけに15人中9番目だったのだ。
わたしにしてはおとなしめの句が多くて、6月の久しぶりの吟行の滝の句が2句入っていた。
とっても嬉しかった。
ご披露させていただきます。
五月雨の塗り込めてをり伊根舟屋
さみだれの ぬりこめており いねふなや
季語は仲夏の「五月雨」。梅雨は雨と気候の両方を差すが、五月雨は長雨のみを差す。伊根の有名な舟屋が雨に「塗り込め」られている様子を詠んだ。
時の日や時計回りの過去未来
ときのひや とけいまわりの かこみらい
季語は仲夏の「時の日」。読んでの通りの句。
終わりなき水の輪廻や瀧落つる
おわりなき みずのりんねや たきおつる
6月の吟行で神戸の布引の滝へ行き、詠んだ句。
「滝」が夏の季語。ひたすら、水が蒸発して雲となり雨となって地上に降り、滝や川となって海へ出、また蒸発し と繰り返すことを「輪廻」と考えた。
岩穿ち瀧の姿の変わりゆく
いわうがち たきのすがたの かわりゆく
同じく「滝」が季語。滝の水の勢いがギクシャクとした岩の隙間を穿ち変化させていく様を詠んだ。
白靴やいつの間にやら年を取り
しろくつや いつのまにやら としをとり
「白靴」が夏の季語。夏の装いに白い靴は涼し気で似合うとされる。
あまり履かなかった白のスニーカーを久しぶりに出して履いてみたら、気付かないうちに薄い汚れや皺があった。ああ、靴もわたしも少しずつくたびれていくんだなあ という感慨。
わたしのこれらの5句がこんなに高く評価されるなんて、母のわたしへのプレゼントだったのかも。