シスターH
お昼食べながら、相方とスノボで金メダルを取った平野歩夢選手のニュースを見てた。
わたしは夏のも冬のも、オリンピックは興味がないのだけれど、平野選手のドレッドヘアがかっこいいなと思い、相方にそう言ったら「この子は前のオリンピックでユニフォームを着崩して着て問題になった子や」と教えてくれた。
それでピッカーンと思い出した。
中、高、大とわたしの行ってた学校には制服があり、わたしが行ってた当時はミニスカート全盛期だった。わたしは大根足だったからミニなんか興味はなかったが、同級生の中にはスカートを短くする子も出てきた。で、膝が隠れているか先生がスカート丈をチェックするようになった。
大学でも短くしてはいけないと言われたが、中高ほどうるさくなかった。
わたしは短くても長くても、スカートそのものがはきたくなかったので、ジーンズで登校しロッカールームで着替える という毎日だった。
不思議と4年間、何も言われなかった。
大学1年の時、音声学を教えてらしたシスターMのお母さまが亡くなられたので、故郷のスコットランドへお帰りになったことがある。
その時、シスターMの代わりに1回だけシスターHが代講することとなった。
元々、口うるさいシスターで(こちらは日本人)上から目線でものを言い、生徒たちに一番嫌われていた人だった。
彼女は教壇に立つなり、こう言った。
「わたしはとても忙しい身です。しかし、シスターMのお母さまがお亡くなりになり、今日の授業ができないと、あなたたちが困ることになります。ですから、忙しい中、時間を割いて、わたしが授業をしてさしあげます。感謝して、くれぐれも授業に集中してください」
カッチーン と来た。
わたしは立ち上がり、シスターに言った。
「シスターMがいらっしゃらないので、シスターHが代りに授業なさるのは大学側の事情でしょう。わたしたちに感謝しろとかいうのは、筋違いじゃありませんか」
教室が凍り付いた。
しばらく、ものも言わず、わたしを睨みつけていたシスターHは「では、授業を始めます」と言って授業を始めた。
それから4年が経ち、卒業式の後、廊下でたまたまシスターHと会った。
目礼して通り過ぎようとすると、呼び止められた。
「ご卒業、おめでとうございます。わたしは何十年も教師をしておりますが、生徒に口答えされたのはあれが初めてでした。一生、忘れません」
ぞっとした。
「制服も着ずに学校へくるような生徒に言われるなんて」
ぎょぎょっとした。
気付いているなら今まで何でぴしゃりと注意しなかったんだろう。
それから2、30年もたって、大学のクラブの先輩が通っている東京近郊の教会にシスターHが赴任されてらしたと聞いた。
その先輩がシスターから言われたそうだ。
「あなたの後輩のYさんのことは、わたし一生忘れません」
でも、笑ってらしたそうだ。