ラジオ

相方とわたしは5才弱ほどしか違わない。

両方とも戦争を知らない子供たちの1人だ。

 

しかし、戦後の日本の復興の勢いは目覚ましく、5年違ったら、生活の仕方、流行りのもの、覚えていることなどに大きな違いがある。

彼はジープに乗ったアメリカ兵を見たことがあるというが、わたしは全くない。

小学校で蚤や虱をなくすため頭からDDTという白い粉状の薬をかけられたというが、この経験もわたしにはない。

彼は野球や相撲の中継は初めはラジオだったと覚えているが、わたしはテレビでしか記憶にない。

 

ラジオと言えば彼が中学の時、高校生だったお兄さんが当時、流行っていた「電リク」で友達宛てに何かの曲を頼んだのが選ばれたことがあったらしい。

わたしが高校の時もあったと思うんだけど、全然、興味がなかった。

当時はGS(グループサウンズ)全盛期で、友達には「スパイダース」ファンや「ジュリー」のファンなんかが、いーっぱいいてた。

「電リク」でもきっとそういう曲が連日、流れていたんだろう。

 

なぜわたしはGSに興味がなかったのか。

いや、GSだけじゃなく、歌謡曲や演歌なども好きじゃなかった。

高校のころから英語の曲、それも「フィフス・ディメンション」などの黒人の音楽のリズム感と力強さにはまり込んでいた。

この話は前にも書いたので省略。

 

ま、嫌味な女の子だったのだ。

そのまま、嫌味な婆さんになっちゃったけど。

 

ラジオとは関わりのない人生を送って来た。

 

それがこの頃、ラジオをつけるようになった。

何故か。

 

リビングの真ん中に置いてある黒檀(家具屋に騙されたんだ。今は赤っぽい茶色になっちゃった)の机の上に、このパソコンとSONYのパーソナルオーディオシステムって名前の器械が置いてある。

この器械は要するにCDが聴けるラジオ、ラジカセじゃなくラジCDだ。

スピーカーを置く場所がなくなったので、この器械を買ってCDを聴いている。

でもこの10年ばかり、何十枚かのCDをぐるぐる聴いてたら飽きちゃった。

 

で、ラジオをつけてみようか と思った。

どれがどこの放送局かも分からなかったので、パソコンでまず周波数とラジオ局を調べた。

今はFM大阪をかけている。

知らない歌手が知らない曲を歌ってる。合間に知らないパーソナリティー(合ってる?)が知らない誰かと知らない何かの話をしてる。

 

これがいい。

頭に残らないで、そよ風みたいに通り過ぎて行く。

ドライバーさん達はラジオ聴いてるというより、流してるんだろうなと言う感じが分るようになってきた。

 

ご飯の時も、テレビだと目からの映像は強くて食べ物をまずくしたりするが、耳だけのラジオならいける。

 

しばらくはラジオを流して、暮らしてみよう。