新聞

先日、友人から林檎が送られてきた。

平たい大きな箱に色や大きさの様々な林檎がびっしり。

食べきれないのでご近所におすそ分けして、うちの分は箱に残したまま、その日の気分で選んで食べていた。

 

2、3日前、濃い赤のをおやつに剥こうと手に取ってみたら、ふにゃっとしてた。

切ってみたら、かなりの部分が茶色くなっていて、痛んでた。

残りの5つを手で触ってみたが、まだしっかりしてて大丈夫そうだった。

念のため、冷蔵庫に移して、段ボール箱を処分しようとした。

底に発泡スチロールの網の様なのが敷いてあって、その下は新聞紙だった。

これらを出して、段ボールの箱を畳んで、マンションのゴミ分別通り、段ボールは段ボールの所、発泡スチロールはプラ関係の所、新聞紙は新聞紙の所へ と考えながら、見るともなく新聞紙を見た。

3、4枚が箱の大きさに合わせて畳んで敷いてあった。

その一番上がたまたま第一面だった。

 

農業共済新聞」

 

生まれて初めて目にした新聞名。

きっと、この林檎を箱詰めにした際、農家さんが自分ちの取ってる新聞の古いのを下敷きにしたんだろう。

 

実家はずーっと朝日新聞で、結婚してからは相方はどこでもいいと言ったので読みなれた朝日を取り続けた。このマンションに移るまでは。

 

大阪の新聞のチラシの量は半端じゃない。いつも本体より多くて、古新聞入れの容器はあっという間に一杯になる。

15階から月に何度か重い新聞紙を持って1階まで出しに行かなければならない。

テレビやネットの時代に新聞ってどうしても必要だろうか。

テレビ番組の雑誌、安く売ってる。これで間に合うじゃん。

だから今、うちは新聞をとってない。

 

でも、やはり懐かしく思う。

相方は整骨院や散髪屋さんに置いてあるスポーツ新聞を待ち時間に見てるらしいけど。

 

朝日や毎日新聞のような大手の新聞社ならいざ知らず、地方紙や業界紙はわたしには遠い遠い存在だ。

しかし、必要な人がいる限り、存在意義があるのだ。

 

日本に、いや世界に、一体どれだけの種類の新聞があるのだろう。

 

朝一のコーヒーと新聞のインクの匂い。

悪くない。

 

でも、古新聞の処理を考えると、やはり二の足を踏む。