NobodyとSomebody

中学、高校のころ、友だちと神戸の元町にあったアメリカンファーマシーへよく行った。アメリカ製の菓子や雑貨を取り扱っている店だった。

そこでわたしは"PEANUTS"という4コマ漫画の本に出会った。まだ今みたいに登場人物は多くないし、スヌーピーは4つ足で歩いてた。

日本語版はなく、辞書と首っ引きだった。

ものすごく印象に残ってるのがある。

チャーリー・ブラウンが例の憂いを帯びた顔で言う。

「自分はsomebodyになりたいのに、nobodyなんだ。」

somebodyは重要人物、大物のこと。かたやnobodyは名もなき人、取るに足らない人。

 

わたしは小学生のころは成長が早く、同級生が幼く見えた。自分は大きくなったら何んだって出来る、何にだってなれると思っていた。

でも、中学から女子校へ行くようになり、自分と同い年の女の子をたくさん見て、自分くらいの子は山のようにいるんだと知った。

チャーリー・ブラウンと一緒、nobody なんだと思った。

 

今まで生きて来て、やっぱりそうだな、nobodyだったなと確信するに至ったよ。

でもね、わたしの家族や友達にとってはsomebodyのところもあるんだ。

相変わらずの自己顕示欲の強い出しゃばりな女だけど、いいところもあるんだよ。

少なくとも、相方にとってはSOMEBODYだ。