秋の終り
昨日、久しぶりにちょっと離れた河原へ自転車で吟行に行ってきた。
前回、行ったのは夏の初めで、河原は緑の背の高い雑草で覆われていた。
今回は薄などの稲の仲間たち、これを萱(かや)と呼ぶんだけど、萱葺き屋根の萱だ、がぎっしりと天高く伸び、足元には緑の背の低い植物がいろいろあった。
名前が分からないから、季語かどうかも分からないし、歳時記で調べることも出来ない。
この間、教室の句会で先輩が使ってらした「秋海棠」という植物っぽいなと、携帯で秋海棠を調べ写真を出して見たが、なんかはっきりしない。
でも、まー、いいかと一応、1句詠んで、家に帰ってから練り直した。
結局、河原では萱と秋海棠と牛膝(いのこずち)だけだったけど、頭が俳句脳になったようで、今朝までで10句ほどゲットできた。
これで気が楽になった。
もう後ひと月で、11月。俳句の世界で冬になる。
秋の終りの季語はしみじみといい。
「秋深し」「暮の秋」「秋時雨」「火恋し」「夜なべ」「鶴来る」「紫式部」「草紅葉」「烏瓜」「占地」
ねえ、季語を並べただけで秋が去り、冬が近づいてくる感じがするでしょ。
しかし、現実は夏の終りだ。
このギャップがわたしや多くのまだ経験の浅い俳人、とはおこがましいが、を悩ませる。
8月から「新涼」とか「桐一葉」なんて詠みにくいよ。
ちなみに「西瓜」「朝顔」は秋の季語だ。
今から、ちょっといいスーパーへ行く。
魚、野菜、果物、花などに秋の終りを探そう。