先生

本日はわたしのホームグランドのN教室の、授業と3句出しの句会の日だった。

 

授業では俳句を詠む際のヒントとなることを教えてもらってる。

今日は「左右、東西で捉える」と「二者択一」だった。

後者に関して岡本眸(1928年~2018年)の句を黒板に書かれた。

 

残りしか残されゐしか春の鴨

 

季語は春の鴨。傷付いたか年老いたか、春に帰っていく鴨たちから取り残されて日本に留まっている鴨を詠んでいる。この句には自分の意志で残ったのか、残されてしまったのかと、春の鴨に託した彼女の思いがある。

戦前に生まれ、戦後に結婚したが、夫は40代で亡くなってしまった。

彼女は、自分は残ったのか、それとも一人ぼっちで残されてしまったのか と自問自答している。

 

こんな句も教えていただいた。

 

喪主といふ妻の終(つい)の座秋袷(あきあわせ)

 

季語は秋袷。秋冷えのころに着る裏地の付いた着物のこと。この場合は袷の喪服。

喪主という立場が妻としての最後の務めだと言っている。

 

もう一句。

 

本当は捨てられしやと墓洗ふ

 

季語は墓洗ふ。そんな悲しいこと考えないでと、彼女の肩を抱いて励ましたくなる。

 

 

この授業のお蔭でたくさんの良い俳句を知ることが出来ている。

わたしの持っている句集は黒田杏子の「木の椅子」くらい。何度も、何度も読んだ。まだまだ読む。

句集って本屋では、なかなか手に入れられない。

 

ほんとにいい先生に巡り合ったもんだ。

 

一生、ついていきます。