二十四節気

昨日は家を出るとき鬱陶しかったし、1日降りそうな天気予報だったので、長い傘を持って行った。でも、結局、降らなくて文字通り無用の長物となった。

関西は今年の梅雨入りは早かったように思うが、あまりしとしと降り続いた感じはなく「降るときゃどしゃ降り」だった。

今日は朝から結構、降った。まだグズグズ降り続いてる。

 

さっきから7月から9月にかけての「二十四節気」を調べていた。

二十四節気は1年を8つに分けてそれをまた3つに分けたものだ。

まず、夏至冬至の二至、春分秋分の二分に、立春立夏立秋立冬の四立(しりゅう)で八節って言うんだって。これをそれぞれ3つに分けて、二十四節気となる。

今年は7月7日が二十四節季の「小暑」で「暑気に入り梅雨の開けるころ」となる。

元々は中国の考え方で、単なる季節感だけではなく、農耕の目印ともなってたみたい。

しかし、本来なら台風や梅雨などは日本独自のもので、二十四節気にはないはずだけど。

 

俳句の季語にも二十四節季は関わっている。

立夏秋分も季語だし、夏の季語「半夏生(はんげしょう)」も二十四節気七十二候のうちの夏至の三候で、新暦7月2日ころ、つまり今日だ、サトイモ科の半夏が生じるののでこの時期の季語になっている。

 

でも今や、現代的な季語がどんどん増えていってる。

夏なら海の日、冷蔵庫やアイスコーヒー、プールにヨット、シャワーも季語だ。

知っていることやものの季語はやはり詠みやすい。

その反面、「青嵐」(あおあらし。青葉のころに吹きわたるやや強い南風)とか「竹婦人」(ちくふじん。竹で編んだ1~1、5メートルほどの筒形の籠。抱きかかえて寝たり、もたれたりしてくつろぎ、涼をとる)、「孑孑(ぼうふら)」「蛍籠」なんていう季語、詳しく知らなくても想像を掻き立てられる。

 

しかし、今年は8月7日が立秋で(まあ毎年、大体この日あたりではあるが)、まだまだこれから夏真っ盛りなのに、秋になっちゃう。

感覚がついていかない。

 

俳句を詠む者にとって一番つらい季節となる。