俳句と恋
明日は今年最初の俳句の教室だ。
5句出しの日。
これ以外の投句の準備もあり、年末年始、わたし的には沢山の句を作った。
ところがいざ明日の分の5句を選ぼうとすると、どれも帯に短し襷に長し。
駄句ばっかり。
わたしらしいのは突飛だし、大人し目のは面白くない。
焦った。
12月の末に年内に送っておくべきものを送り、前述の通り、結構な数の句を詠んだつもりだった。
それが今、わたし自身でOKだと思えるのが2句だけ。
どーゆーこと!
!
わたしの目が変わったんだ。
自分の句を客観的に見られるようになってきたんだ。
これって成長かも。
ん、それはいい。
いいんだけど、明日発表できる句が2句、うち1句は他の句会の投句用だから、1句しかない。
昨日、いつもの先輩のHさんに泣きついた。
彼女は決して嘘を言わない。
「いいんじゃない」と言ってくれることもある。
でも、だいたい「面白くない」「独りよがりでひとに伝わらない」「どこかで読んだことがあるような気がする」と、優しい声でおっしゃる。
彼女のアドバイスの仕方は、ああしろこうしろではなく、どういうことを伝えたいのかをわたしに聞いてくれる。どこを要にしたいのか、わたしは話しながら自分で考えをまとめて行き、自分で答えを出す。
それで何とか発表出来そうな句が4句まできた。
後1句。
これがどうしても季語が2つの季重なりなんだ。
先生は季重なりでも強弱があればいいとおしゃってる。
切字を使って一方を強調してみたら とアドバイスされた。
何とかなりそう と電話を切った。
今度はその句に用いる擬音。
なんか違う。もっと近い表現はないかとまだ迷っている。
これが俳句するということなのだろうか。
見たものをするっと詠めることもあれば、考えなければならないこともある。
恋に似てる。