スーチー女史
先日、久しぶりに行った俳句の教室で、川崎展宏という俳人のことを教わった。
1927年生まれで東大の国文を出て、明治大学の法学部の教授をなさってた方だそうだ。代表作がすごい。
「大和」ヨリヨモツヒラサカスミレサク
「大和」は戦艦大和。日本の誇る戦艦であったが、これもまた、撃沈されてしまった。
ヨモツヒラサカは黄泉比良坂。亡くなった方があの世へ行く時に越えなければならない坂であるらしい。
「大和」以外の片仮名表記は電報文であることを表している。
作者は大戦時18才で、自分と同じような少年たちが戦争で命を散らしていったことを重く受け止め、祈りの気持ちを込めこの句を詠んだらしい。
戦艦大和より電報が届く。黄泉の国の比良坂に菫が咲いていると。
哀しくも美しい。
展宏は「俳句は遊びだと思っている。余技と言う意味ではない」と書いている。
彼にとっての余技ではない「遊び」とは何か、わたしには解らない。
わたしにとって俳句はお楽しみのひとつだったはずなのに、今では悩みの種だ。
自分ではいい句ができたと喜んでいても、みなさんには見向きもしてもらえないことがほとんどだ。
今月のとある投句は5句出しで、主宰には全部、選洩れとされたが、わが先生には1句、特選をいただいた。この句はそんなに悩まずにするっと出た句だ。
去年今年スーチー女史の十五年
去年今年(こぞことし)は、旧年を送り新年を迎えたことをいう初春の季語だ。
わたしたちは自粛することの大変さを経験しているが、ミャンマーのアウン サン スー チーさんは14年9ヶ月、軟禁状態を余儀なくされた。
彼女の大変さを思えば、わたしたちはみんなで一緒に乗り越えられる ってな感じの句。
先生に分かってもらえてすごーく嬉しい。
一生、ついて行きます。