俳句の世界
ここんところ、俳句が出てこない。
いつものように毎月20数句、新作で人前に何とか出せるのを用意しなければならないのだが、かなり不調なのだ。
月末、月初にどっと発表しなければならないので、一応、数だけは揃えた。
中秋の名月あたりにいっぱい詠んで書いて、ずっと俳句のことを考えて俳句脳になってたと思いこんでいたのに、そのあたりを境に、発想が飛ばなくなった。
焦った。
仲良しの俳句仲間、いやいや、わたしが仲間と呼ぶのは失礼だが、のHさんに電話した。
「最近詠んだ句を読んでいくから、ダメなのはダメって言ってください」と言って、ノートに書いてある句を読んでいった。
ほとんどノーだった。
Hさんは遠慮して、ズバっとはおっしゃらないが、わたしの句のだめなところは大きく分けて2つだ。
1、よくあるパターンの句
2、独りよがりで分かりにくい句
1に関しては、まだまだほかの方の詠まれた句に接する年数が足りないので、これには時間がかかる。もっと句集も読まないとね。それと、このせいで人の見ない変な角度でものを見たり、人の使わなさそうな変な表現をするという悪癖もついてきている。
2に関して、やたらクラシック音楽や芸術を絡めた句を書きたがる。
いいカッコしようとしているんじゃない。わたしは今の音楽や映画などには疎い。
でも、昔から母の好みで馴染んだクラシックや好きで行ってる美術館、博物館の影響は強い。
ただし、洋風なので俳句には確かに馴染みにくい。
そんな訳で明後日の教室の句会に用意してた句、全部、没にした。それ以外のもほとんど残ってない。
昨日、一番時間を掛けて話し合った句。
月影やミケランジェロの黄金(きん)の雲
例の満月の夜に詠んだ句だ。
季語は月影。月の光のこと。
中7下5は、システィナ礼拝堂のミケランジェロの天井画の雲がわたしには黄金色に内側から輝いているように思えたから。
あの夜は雲が多くて、月が雲の後から雲を金色に染めていた。
でも、Hさんは発表してたくさんの方にすぐ理解してもらえる句、分かりやすい句がやはり強いとおっしゃった。
それはその通り。わたしだって難しい能、狂言や俳画、日本画に、由緒ある各地のお祭りの句なんか、丸っきり理解できない。こっちのほうがむしろ俳句に必要なのに。
今からコーヒー、いやお茶でも入れて、ゆっくり俳句の世界へ行こう。