「じいじ」「ばあば」
本日は敬老の日。
相方は71才なので、先日、町会から梅干しと黄金飴とお元気で云々という手紙を受け取った。幸か不幸かわたしにはまだ来ない。
ついこの間、駆け落ちして電撃結婚したように思うのに、彼は乙姫様からの箱を開けちゃったらしく、白髪、白鬚のおじいさんになった。
ひとのことは言えないけどね。
わたしがおじいちゃん、おばあちゃんと言って思い浮かぶのは、わたし自身の祖父母のことだ。わたしの娘たちはわたしと相方の両親を思うだろう。
で、わたしの孫たちだが、彼らはわたしたち夫婦をもーちゃん、まりちゃんと呼ぶ。
娘たちは今どきの呼び方、「じいじ」「ばあば」を採用したかったのだろうが、相方とわたしは断固、拒否した。
「じいじ」、正しくは「ち」に点々だろうけど、や「ばあば」の濁音が重なるのが、どうも耳に快く響かない。今やどっちを向いても「じいじ」「ばあば」だ。
誰が言い出したのか知らないが、この言葉は日本を席巻し、今や広辞苑にも載っている。但し、幼児語となっている。
まあ、もーちゃん、まりちゃんも似たようなものではあるが。
一時、キラキラネームを子供につけるのが、流行ったことがある。
あれと同じように、そのうち、また「おじいちゃん」「おばあちゃん」に戻ればいいんだけど。
後10年、15年したら、一番上の孫に子供、つまりひ孫が出来て、そん時、わたしたちが生きてりゃ、「おおじいじ」「おおばあば」とか呼ばれるんだろうか。それを拒否る気力はもうないだろうな。
個人の意見は多数派の意見に押し流されていく。
これも一種の民主主義か。
はい、これも「生さだ」だったら「意見には個人差があります」のフリップが出るところですね。
あっちゃー!
今週のお題、って書くの忘れてた。
まあいいか。
ケ セラ セラ だ。
「なるようになる」じゃないよ。
「なるようにしかならない」んだ。
うほほ、何とかお題のページに載った。
ラッキー!