杞憂
昨日は俳句のN教室の日だった。
実は連日の異常気象とコロナ新感染者数の多さに、かなり精神的に参っていた。
で、一昨日の午後、先生にメールを書いた。
「地球温暖化でこれからの子供たちの未来を考えるとみぞおちあたりがキューっとなります。コロナ患者もすごい勢いで増えていますし、怖くて街へ行けません。明日の教室は出席せず、投句させていただきます。」
先生からお返事が来た。
「投句でいいよ。コロナは怖いからね。でも、地球温暖化は杞憂やで。周の時代、杞の国の人たちが空が落ちてくると怖がったのと一緒や。まりさんのブログ、ケ セラ セラやろ。なるようにしかならへん。もう一度、ケ セラ セラの基本に還って考えたらどうや」
「杞憂」。
先生が「杞憂」だとおっしゃるなら、きっと大丈夫だ。
その瞬間、心がふわっとして、息がしやすくなった。
わたしは今までも、先生から俳句以外のこと、色々教えてもらってきた。いつも大らかにわたしの悩みを解きほぐして下さった。
結局、昨日は出来るだけのコロナと熱中症対策をして出席した。
先生はわたしの顔を見るなり「来たんか」とにっこり笑われた。
季語の本意についての授業の後、3句出しの句会。
兼題は竹婦人(ちくふじん)。夏の季語で竹で編んだ籠で寝る時に抱きかかえたり、足をもたせたりして涼をとるもの。
もう一つの兼題は「球」で、季語ではないので内容に合う季語を見つける。
一応、3句とも並選をいただいたので、ご披露いたします。
竹婦人ヨガ指導者にどこか似て
ちくふじん よがしどうしゃに どこかにて
季語はもちろん「竹婦人」で夏の季語。以前、ヨガを教えて下さっていた美人の先生のほっそりした体つきと、穏やかに自分の身体をほぐす方法を教えて下さった感じなどを思い出して。
地球儀の地軸の傾斜七月尽
ちきゅうぎの ちじくのけいしゃ しちがつじん
季語は「七月尽」。陰暦6月が尽きること。すなわち暦の上で夏が終わること。
兼題の「球」を使ったのだが、「七月尽」という季語はあまり使われないらしく、先生は初めて知ったとおっしゃった。上5中7はいいが、この季語がふさわしいかどうか という感想だった。自分で説明できないうちに次の方の句へ進んでしまった。
わたしは地球儀を眺め、地軸が太陽の公転軸に対して約23、4度傾いているから、四季があるんだと習ったことを思い出した。だから、「七月尽」はジャストだと思ったんだけど、分かってもらえなくて残念だった。
鬼やんま万歳をして生まれけり
おにやんま ばんざいをして うまれけり
「鬼やんま」は秋の季語。ネットで鬼やんまを調べていたら、たまたま鬼やんまの幼虫が羽化する瞬間の写真を見つけた。
2本の前脚を上へ伸ばし、万歳をしているように見えた。それをそのまま詠んだ。
心がしんどいと、俳句も詠みにくくなる。
でも、俳句が救いとなるのも事実だ。