柔軟性

ある教室の句会に行ってきた。

前回は先生を入れて10人だったのに、今日は7人。

だから時間があるので選の入っていない句まで、全部、先生の添削をいただけた。

自分の句の添削はもちろん勉強になるけれど、ほかの方の句の添削はもっと勉強になる。

今日は5句出し、先生の並選3、互選2だった。

まあ、今日の出来は自分でもそんなもんだな と思う。

 

それより、日本のお祭りのDVDを見て句を詠むというのをこの教室ではしている。

今日のは、大原はだか祭(千葉県)と灘のけんか祭(姫路市)だった。

両方とも初めて見たんだけど、けんか祭の会場がすごかった。

丘の斜面が階段状にしてあって、四方へ伸びていて、そこに観客が座って見ている。

真ん中の一番低いところへ沢山の神輿をかついで男たちがなだれ込んでくる。

まるで合戦場のような荒々しい雰囲気だ。

わたしはその広い会場が、例のグラディエーターの円形競技場のように思え、それを表現したくて、句作の時間をほとんど、使ってしまった。

結局、未完成の状態で出してしまった。

 

ほんとは、手に負えないと早いうちに見極めて、ほかの句材を探すべきなのだが、なんだか意地のようになって、無理矢理17文字に押し込んだんだ。しかし、先生の選には遠かった。でも、選に洩れてはいたが先生はこうおっしゃった。

「この句を読んで、自分以外にも同じように感じた人がいた と思った」

先生は昨年、この祭に行かれたそうだ。そして、今回、このDVDを見てなお一層、すごい会場だなと思われたそうだ。で、円形競技場ではなく「コロセウム」を使うべきだとおっしゃった。

ゲッ!

だって「円形競技場」は9文字なんだよ。「コロセウム」なら5文字だ。

30分以上掛けて、どうしてコロセウムが出て来なかったのか。

 

頭の柔軟性がどんどん減っていく。

これは時間がかかり過ぎると思ったら、すぐ違うことにチェンジする。

日本語がだめなら、ほかの言葉で言い替えられないか考える。

 

どっちにしても発想の柔軟性が重要だ。