ジレンマ

今週のお題「読書感想文」

広辞苑によると「読書」というのは「書物を読むこと」とあり、「書物」は「文字や図画などを書き、または印刷して1冊に綴じたもの。本。書籍。図書。典籍。」とある。

現代ではパソコンや携帯で小説や漫画を読むことが出来る。

でも、1冊に綴じた、いわゆる本ではない。

そうなると、パソコンなどで小説などを読んでも、読書したことにならない。

これはもう、広辞苑の「書物」の定義を変えるべきだ。

本の姿をしていようが、いまいが、書かれた文章が人に読まれることを目的としていて、それを出版社などが金銭と交換して提供しているなら「書物」なんだ。

 

「読書感想文」というのは、本を読まない、文章を書かない子供たちに、夏休みの間、せめて1冊でも本を読ませて、感想を文章にさせるという先生方の姑息な手段だったのではないか。課題図書なんてどのようにして選んでたんだろう。出版社から賄賂でも贈られてたんじゃないかしら。つまんない本ばっかりだった。

くくくっ。「生さだ」だったら「意見には個人差があります」のフリップが出てるね。

 

今週のお題の「今こそ読書感想文」の「今こそ」って何?

活字離れの世の中だから?

紙でできた、いわゆる「本」よりネットで読む人が増えてるから?

大人になっていろんな本を読んだからこそってこと?

 

なんかよく分からないけど、わたしには読書について考えるよい機会となった。

本も買わない、新聞も取らない、仕舞うスペースもない。

ないない尽くしのわたしなのだ。

 

でも、日々、文字に接しているという自負の念はある。

毎日、パソコンでブログを読んで、書いて、してる。

俳句も、歳時記を読み、分からないことはネットで調べ、日々、詠んでいる。

 

しかし、読書してはいない。俳句以外の本も読まなければ と思う。

それがいずれ、わたしの血となり肉となることを知っているから。

だが、今でさえわたしの目はかなり見えにくくなり、ピントが合いにくくなっているのだ。

こんな所で歳が障害になるとは。

 

読書はしたい。でも、そのためにこれ以上目が悪くなっては、字が見えなくなる。

あー、何というジレンマ。