ヘッポコ

今日は3か月ぶりの俳句のクラスだった。

こわごわ地下鉄に乗ったけど、乗客はみんな、自然に1人分位、空けて座ってた。

クラスも前の部屋より広い部屋で、1メートル程の長机に1つずつ椅子が置いてあって、ドアを開けて、冷房して、マスクした状態での句会だった。

 

結果はペケ。5句出しで先生の特選1つと別の句に互選2つ、いただいただけ。

クラスが終わったら今までのようにお茶(先生とわたしはビールだけど)しないで、全員帰宅。

 

帰りの地下鉄で、つくづく思った。

先生に丸いただける句は、概ね、詠んでる時、するっと出てきた句が多い。どの句もある程度は推敲する。でも、うまく詠めない句にかぎって、推敲にすごーく時間かけて、かけて、変に執着してしまって、句会に出したくなるのだ。

わたし、前にも書いたよね、俳句は(俳句だけじゃないかもしれないけど)1つの見方、考え方に固執しないで、ドンドン、ほか当たるべきだって。

そう書いておきながら、実際はせっかく思いついたアイデアを捨てる勇気がないんだ。

 

ふーう。特に最近、始めた取り合わせの句が気になって、思いついたつぶやきに合う季語を見つけると、つい、そっちに行っちゃう。

先生は取り合わせに余り行き過ぎると、一物仕立ての句が痩せてくる とおっしゃる。

分かんない。句が痩せるってどういうことだろう。

 

ま、わたしは一物仕立てと取り合わせの句の2本立てで行こうとしてるのは、間違いない。

どっちも、ヘッポコだけど。