センス 2

昨日、ブログを書いている時も、書き終わってからも、気になり続けた箇所がある。

Joeの返事の中の1文の理解の仕方が違っているかもしれない。

"I felt like the ingredients in a good recipe."

Joeが食材のように感じたのは、Joe自身じゃなくて、わたしの書いたブログのことかも知れない。

いずれにしても、こういう比喩の仕方、わたしには思いつけない。

 

昨日、大好きな俳句の先生とメールしてた時に、先生がこう書いてらした。

「ええ(よい)俳句、沢山作ってるのに、○○会(先生がなさってる投句の会)に出す句はへた句」だと。「出席者、選者見て決め」なさい、と。

大ショックだった。

 

このひと月半、教室も吟行も取りやめで先生や俳句のお仲間と会うこともできなかった。もちろん、句を見ていただく事も。多くの句会が投句になった。月20句ほど、新しい句を家で作らないといけない。先生へ出す句は前に先生に見てもらったのでもいいのだが、同じ春でも梅やお水取りはもう使えない。だからこれも新しい句が必要だ。

 

今日から4月。俳句始めて3年経った。

俳句に大切なのは、物や事を見てどう感じるか、そしてそれを言葉でどう表すか というセンスだと思う。でも、感覚的なものに正解はない。詠む人、それを読む人、それぞれに違うセンスがある。

わたしのセンスは変わってて、普通(これもわたしの思う所の普通なんだけど)の句はあまり面白いと思えない。いや、普通に見えて奥が深いと言うのもあるけど。

何しろ、わたしがヘンテコリンなので、わたしの句もヘンテコリンなのが多い。

先生だけがわたしに丸を下さる唯一の理解者なのに、その先生の会にへた句を出しちゃってたなんて。

たぶん、先生に甘えかかっていたんだ。もっと姿勢を正して、先生に丸、もらえるような句を詠もう。

先生とわたしのセンスが重なる所を目指して。