日本語と俳句

ベビーブームの最後くらいに生まれたわたしは、日本の文化より西洋、特にアメリカの文化がカッコいいと思っていた。

音楽も映画もアメリカ製のが一番で、日本の歌謡曲や映画なんてダサいと、バッサリ、切り捨てていた。

しかし年のせいか、近ごろ日本の文化の奥深さに感銘を受ける事が多くなった。

和楽器の平明だが奥行きのある音、影を描かないのに立体感のある日本画、衣食住に今も使われ続けてきている道具たち。

しみじみと、日本に生まれてよかったと思えるようになった。

 

特に、日本語がアメーバーのように外国の言葉や擬音などを取り込んでゆく柔軟性には驚かされる。「デザートのアールグレイのシフォンケーキでお腹パンパン」、何の違和感もないでしょ。

 

前に書いたように、パソコンは元々、英語のようにアルファベットなどだけで構成されている言語用の道具だ。

ワープロって覚えてる?パソコンが出る前に流行りかけた器械だ。日本語には平仮名、片仮名、漢字、今だったらアルファベット表記のものもある。文章をこれらのいろいろな言葉に変換する器械だった。

この、ワープロの機能が搭載されたのが、今、わたしたちの使ってる日本のパソコンだ。一体、何兆語入っているのやら。

 

で、俳句である。

まずは季語。「梅雨」が季語だと言うのは想像がつくでしょ。歳時記にはこれ以外、「黴雨(ばいう)」「墜栗花雨(ついりあめ)」「五月曇」など12もの傍題がある。しかも平仮名表記にすることもある。

季語以外の措辞も漢字、平仮名、時には片仮名を用いる。おまけに文語文法だ。

自分の思いを伝えるために、膨大な数の日本語の中から、たった17文字を選ぶのだ。

 

わたしが今打ってるブログが、ここで大体700文字。

これだけ書いて、ようやく、わたしの言わんとしていることが読み手に伝わるかどうかなのだ。

 

そう考えると、芭蕉や子規などの名句の17文字の組み合わせは、奇跡だ。