降りて来て

さっき、ようやく19日締めの5句が何とか出来て、この後パソコンのメールでお世話係さんに送るつもり。ちょっと時間置いて、もう一回読み直してから。

 

先日、書いたけど、わたしの句ができるペースがすごくノロくなった。

ノートには、いーっ杯、17文字が書いてあるんだけど、頭にバツ印の付いてるのばかり。兼題になっているのや、自分でこれを使ってみたいという季語を使ってはいても、俳句もどきばかり量産してる。

自分で納得できる句はほとんどない。

先生や皆さん方の選をいただける云々の前に、自分で丸が付けられない句ばかり。

 

何度も何度も手を加え表現を変え、考える余地のあるものにはクエスチョンマークを、こりゃダメだというのにはバツ印をつける。

実はこれから出す句の中にも、まだクエスチョンマークが付いているのもあるんだ。

でも、あまりギリギリに送ってはお世話係さんにご迷惑だし。

それに「下手の考え休むに似たり」でしょ。

 

昨夜、Hさんと俳句の話してて「このごろ、降りてこないのよ」とぐちったら「何いってるのよ。まだ、始めて間がないじゃないの」と言われた。

「でも、3月末で4年経つよ」「4年ぐらい、まだ初心者みたいなものよ」

そういやそうだ。おばちゃま方のキャリアと比べたら、確かにまだ初心者だ。

 

でも、時々、神さまが降りてくるんだ。季語のこと考えてたら、頭の裏っかわから言葉がするするっと現れる。

あの快感!

後はその言葉を繋げるだけ。

でも、これも難しいんだよ。

上五中七下五のどこに季語を持ってくれば、降りてきた言葉と上手くかみ合うか。

季語にちゃんと光が当たっているか、季語の説明文みたいになっていないか。

取り合わせの句なら、上手く程よい距離を保っているか。

 

すべて頭で考えた句は理屈っぽくなりがちだ。

一番いいのは、吟行に出て季語の実物を見て、そこからインスパイアされること。

でも、コロナで自粛してマンションの1室にこもり続けているので、季語の中でも時候、天文、地理あたりのが詠みやすい。行事や動植物はやっぱり実物見ないと、わたしなんかにはムズイなあ。

 

俳句の神さま、降りて来てくださーい。