神戸
今、ランチからもどったとこ。
ほんとは今晩いつものちょっといい和食屋さんで、2度目の相方と2人の忘年会するつもりだったんだけど、予約一杯で取れなかった。
で、久しぶりに自転車で5分くらいの所にあるインド、ネパール料理屋さんのランチに行った。ここが意外と、と言っては失礼だが、うまいんだ。30代後半くらいのハンサムなネパール人が多分同じくネパール人だと思える人と2人でやってる。もう5,6年になるかな。カレーもうまいがナンがいい。
昔、神戸の市役所の斜め向かいにゲイロードというインド料理屋さんがあった。独身時代は神戸が縄張りだったから、食べ物屋さんのことも大阪より詳しかった。ナンを初めて食べたのもゲイロードだ。あそこは神戸でも有名なインド料理屋だった。娘たちを連れて行ったこともある。でも、あの地震でなくなった。今はどこか別の場所で営業しているらしい。
食べ物屋さんだけじゃない。神戸は変わっちゃった。地震の前から、と言うより、大阪万博の1970年を過ぎた頃から何度かに分けて、都会化していった。
わたしが子供の頃は、三ノ宮センター街はあんなビルだらけではなく、2階建て(たぶん)の個々のお店がずらーっとトアロードまで並んでいる可愛らしい商店街だったんだ。
入ってちょっと行ったところにパジャマ屋さんがあり、そこで高校の修学旅行用のパジャマを買った。洋裁をしていた母は布地屋さんを何軒も覗いて歩いた。
元町商店街にも大資本の洋服屋などなく、個人商店が連なっていた。父は背広を元町の洋服屋さんで仕立てていた。父の仮縫いについて行くと、近所の喫茶店から紅茶が運ばれてきた。
今は観光客で一杯の南京街は小さくてあるかないかだった。そして元町市場があったのだ。バラックの見かけはしょぼい市場だったけど、八百屋さんで香菜、要するにパクチー買ったりした。
あの頃のまだ戦後を引きずっているような神戸には正に異国情緒があった。
今の日本の街は、特に新幹線の駅周辺は、どこも同じ様に見える。
つまんない街がふえたなぁ。
ネパール料理から神戸の愚痴となりました。