メソッド

明日は吟行の日だ。

紅葉を見にゆく。

わたしはこの吟行の会の係をしているので、いつも吟行地をゆっくり愛でたり楽しんだりする精神的、時間的余裕がない。だから前もって想像で何句か準備しておく。

結果は推して知るべし。いやいや、どっちにしてもまだまだ未熟で選に洩れて当たり前なんだけど。

この吟行の会だけではなく、わたしは兼題があってもなくても、まず歳時記でその季節の季語を探して、そこから俳句を作ってゆく。だから「何が何して何とやら」という散文ぽい句になる。よく先生に「説明的」であると注意される。

今日、1人の先輩が自身の俳句のブログに次のように書かれていた。

「まずは囲りをよく見てこれを詠みたいという題材と出合うこと。それが季語であってもなくても、頭のなかで想像するのではなく、見慣れた日常のものやことをよく見ることだ」

真っ逆さまだった。

先輩の句は暖かくて身近で、誰もが共感できるものが多い。才能ももちろん違うが、メソッドがまるで違う。

いつも街の中では季語が見当たらないと言い訳している自分が恥ずかしい。

 

でもね、「見慣れた日常」から題材を引き出す方がよっぽどむずかしいんだけど。