季語の本意

はい、今週のお題です。記事を書き込むページには「老いも若きも楽しく研究」だけだが、お題の説明のページには今週のお題は「わたしの自由研究」とある。

毎回、こう言う微妙なずれ方をするのは何か意味があるのだろうか。

わかんないけど、ま、いいや。

 

わたしが今、一番研究しなきゃと思っているのは俳句の季語の「本意」。

例えば「鰯雲」と言う秋の季語。歳時記には気象学の説明と鰯が群れているように見えるとか、この雲は降雨の前兆だとか、この雲が現れると鰯が大量に獲れるとかだけ書かれている。しかし「鰯雲」の本意は、空は雲におおわれ、きれいな秋晴れではないのだから、少し暗めで寂し気な雰囲気にあるらしい。

では「蟷螂」(とうろう と読むのだよ。カマキリのこと。わたしも去年まで知らなかった)はどうか。これも歳時記には昆虫で前肢が鎌型をしており云々、交尾がおわると雌が雄を食い殺す習性は奇怪で俳人好みだとある。この季語の本意って何だろう。見た目を一物仕立てで詠むしかないのかな。それとも雌の強さ、恐ろしさを本意と考え、取合わせの句にするか。

たぶん、本意を理解するには先人たちの句を沢山、読むしかないんだろうね。彼らがどの季語でどんな世界を構築しているか。そこから季語の本意をフィードバックして理解していく。

 

これは時間のかかる研究だな。