女性と老い

とある俳句の雑誌に、男性の俳人が「女性は老いをあまり詠まない。老いを認めたくないからかもしれない」と書いていらした。

わたしの俳句のホームグラウンドは20人中、先生を入れて男性は4人。圧倒的に女性が多い。多分、日本全体でも俳句をしている人数は女性の方が多いと思われる。

わたしのホームの女性の平均年齢はたぶん70代後半、90才の方もいらっしゃる。

彼女たちは誇りをもって喜寿や傘寿、卒寿を詠んでらっしゃる。老いを認め、客観的に自分をとらえた素晴らしい句の数々。女性も老いをたくさん、詠んでいますよ。

 

ただ、わたしは苦手だ。

教室に来ていらっしゃる年嵩の女性たちは、みなさん歩けるし頭ももちろん、しっかりなさっている。

わたしの母は認知症が進み、歩行も不自由だ。彼女たちの老いの句を読むたびに、母を思い出す。わたしも母のように70代で認知症になって、地下鉄に乗っていくことなど出来なくなるのではないか、日にちも覚えられなくなるのではないか と考えてしまうのだ。

いや、認知症は遺伝ではない。必ずしもわたしは認知症になるわけではない。

それでも、女性の老いの句はわたしには何だかつらい。

楽しくて明るい老後を今は生きている。いずれつらい日々が始まるのだろう。

その時、彼女たちのように前を向いて暗くならずに生きていくすべを学ばなければならない。