所帯染みる

20代で結婚してすぐ小3の子のお母さんになったので仕事を辞めた。

母が働いた事がない人で、いつも「お帰り」と迎えてくれていたので、母親と言うのはそういうものだと思っていた。本当は仕事が好きだったので続けたかったが、そうするとわたしのほうが帰りが遅くなり、毎日、相方に晩ご飯の支度をさせるのも気が引けた。ありがたいことに相方の収入だけで生活に困ることもなかったので、ひと月ほど引継ぎをして退職した。

 

ご近所には引っ越しの際、3人家族ですとご挨拶した。参観日などは、なるたけ地味な恰好をして行った。後で分ったんだけど20歳でお母さんになった人は結構いた。でもその時のわたしは自分だけ浮いているように思え、参観が終わるとそそくさと帰った。

そうこうしている内に下の娘が生まれ、普通のお母さんになった。

いや、普通より怠け者の出来そこないの主婦になった。

図書館で本を借り、朝からひっくり返って本、といってもミステリーがほとんどだったけど、を読んでいた。幼稚園や中学のお弁当も冷凍食品がほとんどだったし、週1回はパンを買ってもらった。娘たちには申し訳ないことをした。

 

自分で選んだ道だが、仕事を辞め社会から離れて不安になった。

このまま行ったらわたしはどんなおばさんになるんだろう。

見た目も考え方も所帯染みて、わたしのいやだなと思うような女になるんじゃないか。じゃあどうすれば所帯染みないでいられるのか。

結局、結論は出なかった。だが後から考えてみると、相方がわたしが友達と飲みにいってもバレーボールにのめり込んでも文句ひとつ言わなかったから、あまり所帯染みなくてすんでるんじゃないかな。

彼には上の娘を育ててもらったという感謝の念(負い目?)があったからだろうけど、わたしは自由に遊ばせてもらった。うちの外を飛びまわっていたから、お化粧もしたし着るものにも気を使った。ジーンズだけど。

広辞苑によると「所帯染みる」と言うのは「所帯中心の言動になる。所帯の苦労が身にしみてふけて見える」とある。やはりあまりよい意味ではない。

 

所帯中心の真面目な主婦には「所帯染みる」可能性があるが、わたしのように不真面目な人間には可能性が元々低かったということか。