終戦記念日
わたしの母は4人兄妹だった。兄2人、妹1人。長兄は母より4つ年が上で勉強もできたが、趣味の多い人だった。そのうちの一つがクラシック音楽の鑑賞だった。
母の実家は当時、豊かだったので、叔父は蓄音機やレコードを買ってもらい、ベートーベンやブラームスを聞いていた。その影響を受けて母もクラシック音楽の大ファンになった。
そのころのレコードが何枚か防空壕に入れてあったので、今も残っている。サイズはLPレコードだが、今のプレーヤーでは聞けない。
叔父は召集されて、南方で戦死した。
母の実家の仏壇の横に叔父の写真がある。入隊前らしく髪を短く刈り、口を真一文字に結んだ少年。仏壇の位牌には「享年20歳」、数え年だから19歳だろうか、「命日 昭和20年8月8日」とある。
亡くなったわたしの祖母、つまり叔父の母は「一週間早く終戦になってたら死なんですんだのに」と言い続けていた。
叔父に一度でいいから会ってみたかった。
でも、それは絶対に絶対に無理なのだ。
母の次兄は子供の頃の高熱が原因で全身が麻痺し始め、喋ることも儘ならなかった。不自由な身体とクリアな頭脳を持った人だった。テレビをよく見ていた。お気に入りはプロレスと教育テレビの数学。彼は54歳で亡くなった。
母は家を継ぐため、婿を取った。その婿がわたしの父だ。
叔父が生きて帰っていれば、母はどこかへ嫁にいっていただろう。
わたしはこの世に存在しなかったということになる。
叔父とわたしはこの世で入れ違いになる運命だったのだ。
黙禱