楽しみ
今日、心療内科へ行こうと信号を渡った先の道の隅で、携帯で話をしている男性にふと目がいった。
I君だ。
真っ黒に日焼けして丸坊主でみっしり太っている。
彼はわたしに気付き、携帯で話しながら会釈した。
わたしはVサインして傍を通り過ぎた。
診察が終わってから相方に電話して、スーパーのパン屋さんの前で待ち合わせ買い物をして帰った。
買い物を冷蔵庫にしまい終えて、ふと見ると、わたしの携帯のLINEにI君から「こんにちは。先ほどはご挨拶も出来ずすみませんでした」と入っていた。「Yさん(相方のこと)もお元気ですか。云々」最後は「お会いできるのを楽しみにしてます」とあった。
相方にも見せて、I君、元気そうでよかったと喜び合った。
彼はわたしたちが元、住んでいたところのご近所さんで、もう30年ほどのお付き合いだ。
当時、彼は高校時代のサッカー部の仲間たちと子供たちのサッカークラブを立ち上げようとしていた。
相方はPTA 会長の翌年、学校体育施設開放委員長をさせられていた。
それからのお付き合いで、サッカークラブが毎年、初夏にするバーべキュー大会や忘年会へ夫婦そろって招待された。
中心になる30台のお父さん方と狭い我が家で飲み会をしたことも何度もあった。
わたしたちがこのマンションに引っ越してからは8月1日のPLの花火パーティーの常連さん達だった。
でも、コロナ以降、連絡が途絶えていた。
9月末の相方の血液検査の結果がよくて、コロナが落ち着いていたら、一度彼と飲みに行こう。
先に1つ、楽しみができた。
祈る
午後、相方と実家へ行った。
実家の3軒隣に住む母の妹の叔母と弟夫婦とソーシャルワーカーさんとヘルパーさんと看護師さんお二人、狭い応接間で先日の母の40℃の熱についての説明と今後の方針についてお話して下さった。
わたしたちは看護師さんたちのお話を受け入れるしかなかったのだけれど。
高熱の原因はいくつかあったらしいが、要するに92才という年齢で徐々に栄養を体内に取り入れられなくなっていって、最後は植物が枯れていくようになると言うお話だった。
もしかしたら母は秋になって涼しくなったら、食欲も出て元気を取り戻すかもしれないなどと夢のようなことを考えている自分と、それはあり得ないと分かっている自分が、心の中で葛藤していた。
いや、分かってる。
植物が枯れて土に還っていくように、遠くない未来に母の命の火は消えるのだろう。
相方も、私自身もいずれ、土に還るのだ。
でも、1月でも、1日でも、1時間でも、1分でも長く、母に生きていてほしい。
わたしに出来ることは、祈ることしかない。
難聴
何時ごろからだろう、相方の見てるテレビのボリュームが大きいなと思うようになったのは。
わたしには大きすぎて耳が痛いと思うほど。
一度、お向かいの耳鼻科へ相談に行って と何度も言ったけれど「また今度」でお終いだった。
彼が働いていた実家の鉄工所は機械の音が大きくて大声でしゃべらないと聞こえない状態だった。
そんな環境で長くいてたから、昔から難聴気味なんじゃないかと思ってた。
先日、俳句のお友達にその話をしたら「テレビで、難聴は認知症を助長するって言ってたわよ。一度、耳鼻科で相談した方がいいんじゃない」って言われた。
帰ってすぐその話をした。
彼にしては珍しく、翌日、耳鼻科へ行った。
わたしは補聴器のパンフレットでも貰ってくるんじゃないかと思ってた。
半時間ほどして帰って来た。
「どうだった?」
「音が聞こえるかどうかの検査、ヘッドフォンみたいなの掛けてした。ピーっていう高い音の聞こえが少し悪いけど、他の音域は年相応で、まだ補聴器は必要ないって言ってはった」
あー、よかった。
目は白内障手術は無事すんだけれど、眼球内の出血の後遺症が残っていて治療は続いている。治らない可能性もあるみたい。
だから、耳鼻科の結果がまあ異状なしで、ほーっとした。
相方の健康は自分の健康以上に気掛かりなもんだ。
顔
中学から女子校へ行ってた。
高校卒業真近に3年生全員、講堂に集められ、資生堂のお姉さんからお化粧のいろはを教わった。
昔は高校卒業するまでお化粧しなかったし、してる子は不良だ と思いこまされていた。
母も資生堂を使っていたし、わたしも卒業してすぐ母に連れられて市場にあった資生堂で一式揃えてもらった。
大学も女子ばかりだったのでお化粧の情報はすごかった。
お金持ちのお嬢さんも沢山いたので、海外の化粧品を使っている人も多かった。
わたしは卒業して働き出してすぐ、とある海外の化粧品を買った。
それから、いろんなブランドを試した。
結婚しても趣味の英会話で街へ出ることが多かったので、百貨店で化粧品を買っていた。
でも、街へ行かないと買えないのは不便で、結局10年ほど前、近所のスーパーでいつでも手に入る日本の化粧品に変えた。
スーパーに化粧品店は以前は4店あったが、今は3店になった。
ずっとカネボウだったんだけど、今まで使ってたBBクリームが年内で製造中止になると聞いた。
男性はご存じないだろうけど、BBクリームって化粧下地とファンデーションが1つになってて、1工程速く終われる。わたしは面倒くさがりなのでお気に入りだったのだ。
おまけに、もし下地とファンデの2種類買えば年金生活者にはちょっと負担になる。
カネボウのスタッフに見つからないように入口から大回りした。
資生堂のスタッフにBBクリームの話をすると「うちにはありますよ」とサンプルをいくつか出して来てくれた。ふと見ると壁の低くなっている所からカネボウの人がこっちを見ていた。
わたしは亀のように首をすくめ、資生堂の人によくお礼を言って早々に引き上げた。
カネボウのいつもの化粧水がなくなっちゃったので、今からスーパーへ行く。
別に法に触れるような事した訳じゃないのに、なんだか後ろめたい。
どんな顔して行ったらいいの?
祖母と衣被(きぬかつぎ)
さっきN教室から戻ったとこ。
今日は先生の講義と3句出しの句会の日。
講義は裏側を詠む話と無意識な動きを詠む話。
路地裏の句や裏木戸の句、目隠ししても目をつむっちゃう句など面白いお話が沢山。
わたしもこういう方向からの句を書いてみよう。
その後3句出しの句会。
結果から言えば並選2ついただいた。
手土産の浪花正宗今年酒
てみやげの なにわまさむね ことしざけ
「今年酒」が晩秋の季語で、秋に採れた新米で作ったお酒のこと。
季語じゃない兼題が「大阪」や「難波」とかの地名だったので「浪花酒造」の美味しいお酒にした。ちょっと時期は早すぎたけど、俳句は季節を先取りする方がよいとされる。
四度目のワクチン接種秋黴雨
よんどめの わくちんせっしゅ あきついり
「秋黴雨」は秋の季語「秋の雨」の傍題で、小雨が降り続いて物寂しい感じ。
相方とワクチンを接種した日のことを詠んだ。
この2句が選に入った。
でも、今日のわたしの目玉商品は選に漏れた1句。
人生をつるりと終へて衣被
じんせいを つるりとおえて きぬかつぎ
「衣被」が初秋の季語で皮の付いたまま茹でた子芋のこと。指で押し出せて、とろりと柔らかく旨い。
この句は50年ほど前に亡くなったわたしの祖母のことを詠んだもの。
祖母は子供のころから結核で、18まで生きられないだろうと言われてたらしい。それでも、一人娘だったので婿(つまり祖父)を取り、男子2人(次男がわたしの父)女子1人を儲けた。
140センチあるかどうかの小柄な人で、白髪をひっつめにし、着物を着、気骨ある明治の女だった。
ただ、口が悪くて、小学生のわたしが健康優良児に選ばれた時も「大女、総身に知恵の回りかね」という感想を述べた。わたしは子供心ながらも「変わったおばあちゃんだなあ」と思った。
自分自身のことも馬鹿にし悪く言っていたから、まあ、フェアーちゃあフェアーな人ではあったが。
結局、70まで生きて、ちょっと頭の巡りが悪くなったかなと思う程度で、寝込むこともなく、ある朝、布団の中で亡くなっていた。
上手に死んだものだ。
この句を先生は面白い句だと言って下さった。
では、なぜ選に漏れたか。
「終えて」と現在形にしたのがだめだとおっしゃった。
わたしがかい摘んで祖母の話をすると「亡くなってるのなら『終へし』としっかり過去形にしなさい」って。
なるほど、祖母と衣被という題材に関心が行き過ぎて、詰めが甘かった。
勉強になりました。
のめり込む
今朝、リビングは29℃、今、1時前、31℃でとうとう冷房入れた。
気温はそれほどではないけど、湿度が高くてむしむしするんだ。
隣で相方がわたしの古いパソコン、すごーくノロいLENOVO、を見つつ、テレビを見てる。
LENOVOは彼が毎日のように使っているうちに、段々、動きが速くなってきた。
開けるのに10分以上掛かっていたのが、今は4,5分になったらしい。
今、テレビはヤンキース対エンジェルスで、PCはなんか戦争の画面が見える。
彼はイヤホンでPCの話を聞いて、時々外してMLBの解説を聞いている。
寝室にいる時もテレビとタブレットで同様のことをしている。
8月は彼の属しているソフトボールのチーム、今は2つか3っつ、が今年は全部、夏休みで、彼はお暇なのだ。
毎日、何本もあった電話も今は週に2,3本。
9月6日からまたソフトの日々が始まる。
まだまだ、暑い日々は続くんだから、決して無理はしないで。
って言ったって、きっとのめり込むんだろうけど。
あーらら
相方は出会った30歳過ぎごろ、髪は柔らかいくせ毛で髭はほとんど生えなかった。
くせ毛でも扱いやすくて、少し水をスプレーしてブラシでヒョイヒョイとすると形がまとまって何の問題もなかった。
40過ぎに面白半分で娘が行ってた小学校のPTA会長をした。
わたしは役員をしたことがあったので、とっても大変だからやめておいた方がいいとアドバイスしたけれど、新しいおもちゃを手にした子供のように嬉し気だった。
結局、キャリア豊富な女性のPTA役員さんたちに小突かれながら指導してもらい、1年間、何とか終えた。
辞めてから、校長室の歴代会長の写真の末に口髭のある彼の写真が飾られた。
会長をしている間に伸ばしたのだ。
髪と同様、柔らかい頼りなげな髭だった。
それから剃ったり、また伸ばしたりを繰り返し、この10年はずっと伸ばしている。
頼りなかった髭は、ベージュがかかったライトグレイになり、口の上と顎に太く自由奔放に伸び、それでも彼はそれをこじんまりと整えている。
髪は柔らかいまま、歳と共に後退し薄くなった。
同じ男性の毛なのに、どうして髪と髭は違うんだろう。
髪も短ーく刈り続けていたら、太くなってたのかしら。
今さらどうしようもないけど。
やっぱり女にはない「髭」が興味深い。
でも、髭がごつくなってからチューする回数が減り、コロナでゼロになったよ。
あーらら。