See You!
えー、この2,3日、右上の歯をかばって左でものを食べる癖が付き、左の顎が顎関節症なので、食後、左側の歯の周辺が痛くて鎮痛剤を飲むこともあり、なんか変だなあと思ってた。
昨夜、鏡で見たら、左の下の奥から3番目の歯がグラグラしてるのに気付いた。
元々、少し動いてたんだ。それにこのところ、右の分まで噛んでたから、とうとう痛み出しちゃったんだ。
今朝、いつもの歯医者さんへ電話した。
今日は1時から相方の白内障手術の付き添いで眼科へ行くつもりだ。
だから歯科は夕方4時半の予定だったんだけど、左の歯の話を聞いて、先生が「わかりました。では、4時から来てください」っておっしゃった。
たぶん、虫歯の残ってる神経の処置より先に、左下の歯を抜いてしまう予定になるのだろう。
安定剤は3時ごろに飲んで恐怖心を少し抑えていくつもり。
弱り目に祟り目で、わたしのパソコンも、また、調子が悪い。
自分のブログが何度もやり直さないと開かない、☆を下さった方のページも開きにくかったり、☆が付かなかったり、コメントが残せなかったり。
毎回、グズグズとうっとおしい話を、読まされる読者さん方もお気の毒だ。
だから、心身ともに快調になるまで、ブログ、お休みします。
体調がよい時は、みなさんのブログを覗かせていただくつもりです。
See You!
手を合わせる
昨日の午後、ブログ書いてると相方がソフトボールの用事で出かけて行った。
書き終えて机の前でじっとしていると、歯の痛みがどんどんひどくなってきた。
気晴らしに歳時記と筆記用具を持って散歩に出た。
寒かったけど1時間半くらい、うろうろしてた。
結構、いろんな句の種を見つけた。
家に帰ると、相方は帰ってきていて夕食のポテトサラダ用のジャガイモを湯がいていた。
わたしの歯はどんどん痛みが強くなり、5時過ぎに痛み止め2錠飲んだ。
それがなかなか効いてくれなくて、保冷剤をタオルにくるんで頬や首筋に当てて、テレビ見てたけど、内容はまったく入ってこなかった。
10時くらいにゆっくり痛みが引いて行った。
鎮痛剤を2錠飲むときは必ず6時間は空けるように言われてたから、11時過ぎに飲む予定にしていた。でも、朝6時くらいまでは効いていてほしかったので12時半まで飲まずにいた。
朝は7時ころまで眠れた。でも、少し頭痛がして、その後もう少し寝たいと思ったが眠れず、結局、8時くらいにのそのそ起きた。
相方はNYチームの3年ぶりの花見を練習の後にすると言って、早くから出かけていた。
わたしはトーストが硬くて食べにくいので、フレンチトーストにしてそおーっと食べた。
少し痛みがあったので、9時過ぎに鎮痛剤、1錠だけ飲んで、今まできてる。
7時間近くなる。
大丈夫そうならこのまま飲まずにいて、寝る前に1錠だけにしたいんだけど。
でもね、今朝、フレンチトースト、怖々食べて、何ともなかった時は神様に手をあわせたよ。
ありがとうございますって。
ケ セラ セラ
本日の午前11時から歯科だった。
25日に歯科の後、すごく痛んだが、鎮痛薬が何とか効いてくれて、それからはまあまあ、1日に朝か昼ごはんの後、鎮痛剤1錠で恙なく暮らせた。
でも、25日の麻酔なしで詰め物を取ろうとなさった際の痛みがトラウマになってたみたい。
昨晩あたりから、また痛い思いをするんじゃないかと不安で、今朝は診療内科でもらっている安定剤を飲もうかと思うくらい怖かった。
先生にその話をしたが「出来たら麻酔なしでしたいので。痛かったらそれから麻酔します」とおっしゃった。
で、例のギュイーンってドリルで詰め物を取り除かれた。
あっけないくらい、何ともなくて、一安心。
でも、3本に分かれた神経の1本の炎症がひどいらしく、そこを触られるとものすごーく痛んだ。
「この神経の炎症が治まるまで治療は前へ進めません。炎症を収める薬を入れてありますが、日にち薬です。次は金曜日に来てください。今日はお昼ご飯食べる前でも、痛かったら薬、飲んで下さい。何もなくても毎日朝ごはんの後に1錠、飲んで下さい」
11時に行って、11時半ごろ終わった。
帰宅して、12時くらいまで様子を見ていたが、そんなに痛みはしなかった。ただ、イヤーな感じはあった。だから、昼食後、躊躇わず痛み止め、飲んだ。
正解だったよ。
薬飲んで、2時間くらいだけど、薬が痛みを抑えている実感がある。
薬の効き目がなくなったら、きっとすごく痛むんじゃないかしら。
家族や大切な友人のためなら、神に手を合わせて祈ったりする。
でも、どんなに困った時も、自分のために手を合わせて神様に願ったことはない。
鎮痛剤は6時間、間をあけてと書かれている。
後4時間のうちに痛みが治まるだろうか。
「ケ セラ セラ」でいくしかない。
正に
22日の火曜日、わたしはなんてお気楽なこと、書いてたんだろう。
翌23日、水曜の朝から歯は疼き、6時間おきの鎮痛剤は効かなくて、次の治療の金曜日まであと5錠では絶対、足りない。
歯科へ電話して、鎮痛剤を貰いに行った。先生が出て来て下さって「あまり痛いようなら2錠一ぺんに飲んでもいいですよ、ただし、6時間はきっちりあけてね」と10錠、出していただいた。
で夕食後、2錠一緒に飲んだ。
1時間ほどして、うそのように楽になった。
で、その日はそれ以上、薬を飲まずに寝ることができた。
24日の朝は前日ほどではないが、歯の痛さで目が覚めた。
で、朝食後、薬を1錠飲んで、なんとか夕方までもたせ、夕食後と夜中1時半に1錠ずつ飲んで、25日、今朝はまあまあの状態で11時に歯科へ行った。
「口を開けて下さい」と言って、先生が麻酔なしで詰め物を削り始められた。
ああ、もう麻酔なしで大丈夫なんだと思ったとたん、ガン ときた。
先生は「まだ、痛みますか。では、麻酔して」続きの処置をなさった。
「やっぱり、2年前の虫歯の時に神経をとっておくべきでしたね」
先生は勧めて下さったのを、わたしが「また、しばらくしてから」と逃げたのだ。
「神経が傷んでしまってるので、ちょっと日にちが掛かりますよ」「1,2か月くらいですか」「人によっては」とおっしゃって次の患者さんの方へ行かれた。
歯科衛生士さんに「鎮痛剤、後7錠しかないんですが」と言うと「もう、神経はほとんど取りましたから、そんなに痛むことはないと思います」って。
家まで3,4分。うちのマンションのエレベーターに乗ってる時、コメカミ当りに不穏な感じがした。
12時過ぎ、鍵あけて家に入り、マスク外して手を洗い、ダイニングの椅子に座った。
途端に、いやだー、ギュイーンと来た。
今回の中で一番、鋭い痛み。
コメカミから歯へ下った。
ギンギンガンガン。どくどくと脈を打つ。
歯科へ電話して「もう薬、飲んでもいいでしょうか」と訊いた。
受付の人が先生に聞きに行ってくれた。
「飲んでいいそうです。1錠だけとおっしゃってます」
え、こんなに痛いのに?
神経とったんじゃないの?なのにどうして?
何にせよ、急いで薬1錠飲んで、後は何をする気にもならない。
家計簿に歯科代、記入してから、俳句のノート広げても、気持ちは痛む歯から離れられない。
でも、歯科の帰り道に撮った開きかけている桜の蕾の写真、眺めてたら「はにかむ」って言葉が浮かんできた。
そこから、しばらく俳句に気持ちをむりやり持って行ってたら、気付けば痛みは半減してた。
1時過ぎ、怖々おうどん食べて、パソコン開いたころ、相方が久しぶりのNYチームの練習から帰って来た。
4月1日の白内障手術まで、行ける日は行くつもりみたい。
彼、珍しく食欲がなくって、お昼ご飯、おにぎり1つだけ。
ちょっと横になって、また、整骨院へ出て行った。
鎮痛剤飲んで3時間半。
コメカミの奥の方に嫌な感じはあるけど、今はそんなに痛くない。
このまま、痛みが治まってくれますように。
5月の旅行なんて、正に「夢のまた夢」になってきたよ。
夢のまた夢
ゔー。
今、歯科から戻ったとこ。
19日、午前中はましだったのが、午後から頭痛が徐々にひどくなった。
20日も21日も、午前中はましだけど、午後になると上下の歯を合わせただけで鈍痛、時にはガーンと響く痛みになった。
この頭痛は間違いなく「歯」のせいだったんだ。
でも連休でどうもしようがなかった。
今朝、歯科へ電話を入れ、12時半に予約入れた。
ポニーテールの金太郎さんに事情を説明したら、「今まで言ってきた通り、その歯は前に深い虫歯の治療をしたところですが、神経は残ってます。その神経が傷んでるのだと思います。取りますか?」と事も無げに言われた。
そういや、2年前にその虫歯の治療をしてもらってたころ、「虫出しの雷口開けて歯科の椅子」という句を詠んだ話を以前書いた。先生はその句をすごく気に入って下さって、彼女が教わっている書道(かなり斬新な)の師匠にその句を葉書大の紙に書いてもらわれた。そのうちの1枚をわたしに下さったんだ。
あん時の虫歯の治療の際、残してた神経が傷んで、こめかみまで痛くなっちゃったんだ。
ころっと忘れてた。
歯科の治療って麻酔するからその時は痛くない。それでも、わたしはビビりまくるんで、先生に何度も「体の力を抜いて下さい」って言われた。
で、帰ってきて麻酔が残ってるけど、早々に痛み止めのロキソニン、飲んだ。
「6時間あける」って書いてあるけど、6時間なんてもたないの、知ってる。
だから、今のうちにブログ、書いとこうと思った。
相方の注射した右目、順調に治ってるようで、黒い影はすっかりなくなり、前より見え方もましになったみたい。
4月になったら右目、左目の順に白内障の手術を受ける。
5月になれば、二人ともすっかり元気になるだろうから、旅行でも行きたいなあ。
さて、まん延防止解除後の日本はいったい、どうなってゆくのだろうか。
旅行なんて、夢のまた夢かしら。
ラジオ体操
相方は右目の硝子体に網膜浮腫と網膜出血を起こしてるのと、両眼の白内障とで、2種類の手術を必要とする。
硝子体に注射で薬を入れるのは木曜日に行われ、今、経過を見ている。
木曜の術後には、右目に野球のボールサイズの黒い塊が見えると言っていた。
金曜には腕時計の文字盤サイズになり、土曜の今朝は指輪サイズに小さくなっていってる。
まずはちょっと安心した。
白内障の手術は4月になってから。
わたし、昨日は1日、頭痛がしてた。
原因が何なのか、判断しにくい。
運動不足?昨日は雨の中、相方について病院へ行ったし、ラジオ体操も4回した。
ブログを読んだりして目が疲れた?そんなに長時間じゃなかったよ。
で、考えられるのは歯なんだけど、腫れていた歯茎は治まってるんだ。
後は、歯茎を傷つけないようにナイトガードというマウスピースを今はしていないから、夜の間に、また歯を食いしばってるのかしら?
まあ、今日は頭痛もましだから様子をみるつもり。
ああ、でも月曜は春分の日で連休になるのね。
お医者さまがお休みになるのは、ちょっと困るけど。
歳をとって体に不調が出るのは自然なこと。
でも、痛かったり不安だったりするのはやっぱりいやだ。
気を紛らわせてくれるのは趣味。
ブログと俳句、少しの読書、沢山のテレビ。
今、テレビは次々と最終回を迎えていく。
4月からはまた新しいドラマが始まる。
明るくて楽しい、ハッピーエンドのラブストーリーがわたしの好み。
ディープでシリアスなのは疲れちゃう。
朝から洗濯済ませた。お昼を食べたら、なんかして遊ぼう。
まずはラジオ体操だ。
明日
12日の土曜日から後、たった4日しか経たないのに、いろんなことが起こったよ。
13日の日曜はついに3回目のワクチン接種の日だった。
10時からだったけれど少し早めに行きたくて9時半に家を出た。
バスで行くつもりだったけど、相方が車を出してくれ9時45分には着いた。
いつもの病院の外に順番待ち用のロープの通路があった。
でも、わたし以外おばあさんが1人だけで、看護師さんに予約票と大阪市の接種券などを渡して「どうぞ」と言われて入ったら、沢山のブースにそれぞれお医者様がいて、またすぐ他の看護師さんが付いてくれて「はい、そこに座って下さい」とお医者様の前に座ったら「体調は大丈夫ですか」「はい」と言うとすぐに看護師さんが「袖を上の方まで捲って下さい」と言われ、お医者様が何か話しかけている間に、看護師さんが「チクっとしますよ」と言うと同時に注射した。この間、1分程。
すごっ!早っ!
で、別の看護師さんが待合室のような、椅子に沢山の人が座っている所へ連れて行ってくれて「ここに10時2分まで座っていて下さい」と「10:02」と書かれた小さな紙を渡してくれた。
前回の自衛隊とはサイズが違うが、手際の良さは優るとも劣らずだった。
14日の月曜日は、相方の眼球内の出血への注射と、白内障の手術の説明を、家族も一緒に受けるよう言われ、二人でT眼科へ行った。
こちらも看護師さんが手慣れた様子で説明して下さり「心配なさらなくても大丈夫ですよ。先生は慣れてらっしゃるから。週に20人は手術してます」って。
すごーく安心できた。
15日の火曜日は何も用事のない日だったのだが、わたしの右上の奥歯の歯茎がまた腫れ出した。前にもらってた感染予防のうがい薬で何度かうがいしているうちに痛みはましになった。
で、本日16日、朝、まだ痛みが完全にはなくならないので、歯科に電話し、夕方に予約を入れた。
そして、先週金曜の脳のMRIの結果を聞きに、日曜にワクチン接種したいつもの病院へ相方に送ってもらった。
まあ、予想通り、特別なことはなく、年相応だと言われ、一安心。
帰りに例のスーパーや映画館も入っている商業施設へ行って、買い物をした。
しばらく、彼は車の運転など出来なくなるから、無印の2人とも大好きなバームクーヘンとかカレーやナンを作るための粉など買いだめしておいた。
6時に歯科へ行き、いつものポニーテールの金太郎さんの先生に診てもらった。
中耳炎のため、耳鼻科で2週間くらい抗生物質を使っていたことを知ってらしたので、「もう、痛みのピークは過ぎてるから、抗生物質はやめにして、うがい薬を薄めず直接歯ブラシに付けて、朝晩、そっとマッサージしてください」とおっしゃった。
帰ってきて、ご飯して、片付けをした。
相方は明日、眼球に注射をする手術を受けるので、お風呂に入り、頭も洗って、寝室へ行った。
わたしはようやく、ブログが書けた。
大変なことの多かったこの数日に、昨日、ご褒美がひとつ。
3月も投句となったN句会の結果が届いた。
わたしの名前が一番始めに載っていた。
5句出して、主宰は並選1句、特選3句、先生は並選2句だった。
ここんところ、句会の成績はあまりよくなかったので、とっても励みになった。
調子に乗って、ご披露させていただきます。
お松明抱へる僧の面魂
おたいまつ かかえるそうの つらだましい
バンクシーの赤き風船春愁ふ
ばんくしーのあかきふうせん はるうれう
物種蒔く赤きシャベルのお手伝い
ものだねまく あかきしゃべるのおてつだい
こぶしさく きりんのひとみのたかさに
一句目は兼題のお水取りで詠んだ句。
二句目はちょっと説明が必要。バンクシーはイギリスの画家、というか落書き家というべきか。この絵は「風船と少女」というタイトルで最初に描かれたのはロンドンのウォータールー橋らしい。添えられた言葉が"There is always hope"‥‥「希望は常にある」。ウクライナに向けて。季語は「春愁ふ」
三句目の季語は「物種蒔く」。「物種」は野菜や草花の種の総称でそれらをまくことを指す。お家の花壇かプランターで親子で種まきをする様子。
四句目の季語は「辛夷」でご近所のお宅の辛夷が2階くらいの高さに咲いている様子を詠んだ。中七下五を四四四と句跨りにした。
うちの結社では好まれないのだが、わたしはこのリズムも好きなのだ。
ありがたいことに主宰がよしとして下さった。
ああ、もう10時半だ。
明日、相方が眼科へ行く前にわたしは家を出て教室へ向かう。
今から授業の後にする3句出しの句会用の句を短冊に清書する。
どうか明日の手術、何ごともなく終わりますように。