場所と人

今週のお題は「住みたかった街」なのか「忘れられない街」なのか。

どうしていつも微妙なずらしかたをするのか分からない。

 

阪神間で生まれ育ったわたしにとって住みたかった街は、ベタだがやはり芦屋だった。

それも山手。

でも今のわたしにはあの坂道はきつすぎる。皆さん、車でお買い物に行かれるのだろうか。めんどくさいね。おまけにご近所付き合いを考えると、気づまりでもある。

一番住みたくなかった街は大阪の下町。同じ関西でも言葉が違う。それに他人んちに土足で上がり込んでくる感が暑苦しく思えた。

それが今や大阪の下町に住み、大阪弁がつるりと口から出てくるようになった。

すっかり馴染んだように見えるだろう。実際、気楽に楽しくくらしてはいる。

でも、わたしの中には相変わらず違和感がある。

仲良くしているお隣のIさんところはわたしのことを「マダム」と呼んでらっしゃるらしい。すぐそばにあるスーパーへ買い物に行くのも、ジーンズにシャツやカーディガンという家ん中の恰好で出掛けるわたしのどこが「マダム」なのか。

何となく皮肉っぽく感じるのはわたしの性格の悪さ故だろうか。

「住めば都」なんて嘘だよ。場所じゃないんだ。誰と住んでるかなんだ。

 

忘れられない街がある。ソ連だったころのロシアのカリーニンという街だ。いや、町だ。40年以上前のことである。田舎ではなく町なんだけど、わたしが子供のころのわたしの故郷に似ていた。地道に木の塀があり、その上から木の葉や花が顔をのぞかせていた。お風呂屋さんがあり、名もなき(あるだろうけれど)川が流れ、遠くに沈んでゆく夕日を見ていると、心に母の姿が浮かんだ。恋人がいれば彼の姿が浮かんだのだろうけれど。一緒に夕日を見る人がほしいと思った。

 

場所と人は大きく関わっている。

銀行屋さん

さっきまで銀行の人が2人来ていた。

この春にうちの担当になった24才のS君はうちに初めて挨拶に来た時から、相方の「お気に」だった。うちのほんの少しの財産の、そのまたほんの少しを定期に入れている。彼はそれを一生懸命、少しでも利率のよいものにしようと、いろいろ考えて提案してくれていた。

今日は営業の主任の年嵩の女性が一緒だった。なかなかの美人で頭の切れそうなIさん。彼女はまず、マンションをほめ、相方とわたしのことを美男美女だと臆面もなく言い、ソフトボールや俳句とはよい趣味をお持ちですねと力の限りほめたおした。

それから彼女は投資信託の話を始めた。S君にはうちは投信では苦い思いをしていることを話してあったのに、彼では埒が明かないと銀行は彼女を寄越したようだ。

相方は一応、彼女にもうちは投信はしたくないと言っていたが、彼女があまり熱心に勧めるので、とうとう「じゃあ、半分だけ」なんて言った。

わたしは相方をにらみながら、銀行屋さんに口元だけ微笑みかけるという離れ業をやってのけた。「すみませんけれど、わたしはどうしても投信はいやなんです。彼の名義でもわたしたち夫婦の大切な財産であることには間違いないでしょう。わたしの投信は何年にも渡って儲けどころか元金を大きく割ったまま。わたしに投信を勧めてくれた女性は出世して、もうよその支店へ行き、後任の担当者は運用報告書を送ってくるだけ。どんな投信でも元本保証なんてできないでしょ!」この辺でわたしは興奮して語尾がきつくなる。「それともあなた、うちの投信に穴あいたら、あなたが自腹でうめてくれるっ!」

で2人は「どうもお邪魔しました」と逃げて帰った。

悪い事しちゃったな。あんないい方しなくてもよかったのに。

でも、相方はわたしがあんな言い方した理由、分かってるんだ。

今日来たIさん、わたしに投信を勧めた女性によく似てたんだ。雰囲気、背の高さ、そして豊かな胸。そーっくり。

お気の毒様でした。

メソッド

明日は吟行の日だ。

紅葉を見にゆく。

わたしはこの吟行の会の係をしているので、いつも吟行地をゆっくり愛でたり楽しんだりする精神的、時間的余裕がない。だから前もって想像で何句か準備しておく。

結果は推して知るべし。いやいや、どっちにしてもまだまだ未熟で選に洩れて当たり前なんだけど。

この吟行の会だけではなく、わたしは兼題があってもなくても、まず歳時記でその季節の季語を探して、そこから俳句を作ってゆく。だから「何が何して何とやら」という散文ぽい句になる。よく先生に「説明的」であると注意される。

今日、1人の先輩が自身の俳句のブログに次のように書かれていた。

「まずは囲りをよく見てこれを詠みたいという題材と出合うこと。それが季語であってもなくても、頭のなかで想像するのではなく、見慣れた日常のものやことをよく見ることだ」

真っ逆さまだった。

先輩の句は暖かくて身近で、誰もが共感できるものが多い。才能ももちろん違うが、メソッドがまるで違う。

いつも街の中では季語が見当たらないと言い訳している自分が恥ずかしい。

 

でもね、「見慣れた日常」から題材を引き出す方がよっぽどむずかしいんだけど。

今朝もシミとシワを何とか隠すべく鏡に向かっていたら「ん?」と感じた。

何だろう、これ。

相方の顔もまじまじ見た。

「んーむ」

たぶんそう言うことなんだろう。

 

若い人の顔はDNAに支配されがちだ。どんなに奇抜なメイクやファッションをしていても、親や親せきの叔父さん、叔母さんの若いころに似ている。

年が上がるにつれ、DNAは色んなふうに出てくる。前は似ていると思わなかった親せきの誰かに似てきたりする。

しかしだ、60年以上、使い続けているうちに「わたし」の顔は「わたし」に一番似てくる。同じ人間でも、よく笑ってきた場合と暗い表情が多かった場合とでは結果はおのずと違ってくる。

わたしは小心者なので、感情の揺れが大きい。泣いたり笑ったり怒ったり、その結果、シワの多い顔になった。しかめっ面をしたり大口をあけて笑ったりした結果、シワが多いだけでなく、そこには誰の顔でもない「わたし」の顔が出来てきている。

相方も積み重ねてきたわたしとの生活で、前より目じりが下がってきた。これは単に筋肉が緩んできただけではなく、笑うことが増えたからだと思う。

 

生きることは自分の顔を作っていくことでもある。

モーニン

例の如く、水屋箪笥の上にパーソナルオーディオシステム(要するにラジカセのCDバージョン)のっけて、スピーカーのサポートさせて、「美の壺」の"blue note collection"を聞いていた。

1曲目のアート・ブレイキーの「モーニン」はNHKの番組のオープニングで使われている。それ以前にあまりジャズにくわしくないわたしでも何度も耳にしたことがある。

カタカナで「モーニン」とインプットされていたので、何となく「朝」か「喪」のどちらかだと思い込んでいた。それにしては曲想がずれるなという気はしていた。

10年以上前に上の娘から誕生日プレゼント、何がいいと聞かれ、このCDをリクエストしたのだ。それから長い間、車の中でかけていた。昨年、家に持ち帰っていたのを、久しぶりに聞いたのだ。

CDの説明書を見たら"Moanin'"というタイトルだった。辞書で引いたら不平(の多い)、愚痴(ばかりの)という名詞(形容詞)だった。

なるほどね とストンと落ちた。

題名と音楽というのも面白い。歌詞のある音楽はもちろん、楽器だけの音楽の題名というのもなかなか味わい深い。

こういう楽しみ方もできるなと思う。

飲み会

痛風と糖尿の相方がソフトボール関係の飲み会とやらに足取りも軽く出ていった。

知らねぇぞ。飲み過ぎたらどーなるか。

と、心の中で悪態を吐いたのは、わたしの人間の小ささ故だ。

わたしだって月に1、2回くらいは俳句の仲間と飲むし、彼はこの3ヶ月程、節制してはいる。でも、彼の方が飲みに行くことが多い。心配もしているのだ。

しかし本音は「羨ましい」が一番にくる。

女の人同士で飲み会って少ない。先日の同窓会だってお昼過ぎから夕方までで、形だけの乾杯した後、2杯目頼んだのは2人だけ。わたしは5杯くらい飲んだかな。飲んだ分は自己申告で、小銭で払って会計はぴったり。主婦、恐るべし。カラオケ屋さんで1時間いて、皆さん、晩ご飯の支度があるからと、そそくさとお帰りになった。

あれは飲み会ではなかった。食べてしゃべるだけの会。それはそれで楽しいんだけど、呑み助のわたしとしては飲んでぐだぐだ話がしたい、もう1軒いこうと言えば何人か付き合ってくれる、そういうのが望ましい。

平成生まれの女性がまわりにいないのでしかとは分からないが、昭和の女性は昔気質な女らしさのようなものを持ち続けているようだ。わたしのように男女同権(同質ではない)にこだわるのも過去の遺物だ。

久しぶりに友人と夕方から飲みに行こう。それからはしご酒して終電で帰ろう。

さて、いつ彼女とスケジュール、合うかな。

ムクドリ後日談

例の近所の交差点の木をねぐらにしていたムクドリたちのその後である。

 

3本の木は1メートル位のところでまず、切られた。

それから根っこから抜かれ、土は平らに均された。まだ何も植わっていない。

ムクドリたちは夕方になると、2番人気だった南東の木があった場所の近くに立っている電柱から、東へ続く電線にぎっしりとまっている。5本目の電柱までだ。

1番人気だった北東の木があった場所のあたりには残念ながら電柱はない。それでもそのほんの5,6メートル東に電柱はちゃんとあり、電線も東へのびている。今、ムクドリたちがとまっている電線の、道を隔てた向かい側だ。しかし、あまりとまっている様子がない。鳥たちがいない昼間でもとまっているかいないか、すぐわかる。道路の南側の歩道には彼らの白い糞の跡がびっしり、電線の影のように真っすぐ付いているからだ。

 

何故だ。今度はなぜ南東の電線なんだ。

またもや、ムクドリは南東の電柱に近い場所にとまろうと争奪戦をしている。

できるだけ角の電柱に近い電線の上にとまることがステータスシンボルであるかのように。

彼らには彼らなりの理由があるはずなのだが、人間のわたしには理解不能

この数日、ひどい雨はないが、これから先、雨や雪の夜は葉っぱのない電線でどうするつもりなんだろう。

 

不可解なムクドリのおかげで、要らぬ心配ごとが増えちゃった。