野の錦

本日は3週間ぶりのホームグラウンドの俳句。

やっぱりホームはいい。メンバーは2年以上のお付き合いの方々だし、教室だから質問もできる。終わってからみなさんとお茶しながらいろんなお話もできる。

 

今日も老いの句が一つあった。作者は男性で70才過ぎの方。周りの方もご自身も「老いの只中」であることを「野の錦」だと詠んでらした。

やっぱ、なーんか女性とは違う。明るい。力がある。

こういう老いの句ならわたしも力をもらえる。

 

でも、わたしはまだ、自分が老いているとは思っていない。

わたしは座骨神経痛だのヘルニアだの老眼だのコレステロールだのいいながら、まだ片足、中年に付けてるつもりなのだ。

 

ずうずうしいと言うべきか、楽観的と言うべきか。ふふふ。

女性と老い

とある俳句の雑誌に、男性の俳人が「女性は老いをあまり詠まない。老いを認めたくないからかもしれない」と書いていらした。

わたしの俳句のホームグラウンドは20人中、先生を入れて男性は4人。圧倒的に女性が多い。多分、日本全体でも俳句をしている人数は女性の方が多いと思われる。

わたしのホームの女性の平均年齢はたぶん70代後半、90才の方もいらっしゃる。

彼女たちは誇りをもって喜寿や傘寿、卒寿を詠んでらっしゃる。老いを認め、客観的に自分をとらえた素晴らしい句の数々。女性も老いをたくさん、詠んでいますよ。

 

ただ、わたしは苦手だ。

教室に来ていらっしゃる年嵩の女性たちは、みなさん歩けるし頭ももちろん、しっかりなさっている。

わたしの母は認知症が進み、歩行も不自由だ。彼女たちの老いの句を読むたびに、母を思い出す。わたしも母のように70代で認知症になって、地下鉄に乗っていくことなど出来なくなるのではないか、日にちも覚えられなくなるのではないか と考えてしまうのだ。

いや、認知症は遺伝ではない。必ずしもわたしは認知症になるわけではない。

それでも、女性の老いの句はわたしには何だかつらい。

楽しくて明るい老後を今は生きている。いずれつらい日々が始まるのだろう。

その時、彼女たちのように前を向いて暗くならずに生きていくすべを学ばなければならない。

羽根布団

昨日の午後、相方に手伝ってもらって羽根布団にカバーをして相の布団と替えた。最低気温が10度を切ったので、相布団とタオルケットでは朝方の寒さに風邪をひきそうに思えたから。

ところが夜、布団に入ってみると暖かすぎて汗かきそうだった。

でも、今朝起きた時は気温が下がったせいか、丁度よくなっていた。

わたしたちは4月まで毛布も使わず、この布団1枚でいけちゃうんだ。

よそんちでもそうなのかな。

普通の布団を使っていた時は、上下に毛布を入れていた。

でも、羽根布団は人間と一緒に息してるみたいに、暖かい空気をため込んだり、湿度を逃がしたりする ように思う。だから冬中、快適なんだろう。

 

わたし、羽根布団みたいな人間になりたい。 

PEANUTS

今週のお題は好きな漫画だそうだ。

今はもう、漫画もアニメも見ない。

しかし、昔は「リボン」や「マーガレット」なんかが大好きだった。

前のYahoo!のブログに書いたことがあるんだけど、50年以上前、神戸の西元町にアメリカンファーマシーというお店があった。アメリカのお菓子や雑誌、雑貨類を売っていて、そこで出会ったのが「PEANUTS]という例のスヌーピーやチャーリー ブラウンなんかが出てくる漫画だった。チャーリーの顔もまだ幼い感じで、スヌーピーは4つ足で歩いてた。日本語の訳なしだったのでとても大変だったが、日本のストーリー性の高い長編の漫画ではなく、4コマ漫画だったので何とか分かった。

記憶力には自信がないが、そんなわたしも覚えているのが1つ。

初めの3コマでは、すまし顔でルーシーが手足を動かしているのをチャーリーが見ている。4コマ目でルーシーが言う。「これだけのためにママは何ドル払ったと思う?」

ああ、あれはバレーを踊っていたんだ。後からクスリと笑える。ルーシーも馬鹿にした物言いをしてるが、そんなにいやじゃないみたい。

たくさんの登場人物は子供か犬や鳥。でも、それぞれの個性がくっきりしていて、どの子も友達の、もしくは自分自身の中にある性格だった。おもしろかったなぁ。

何十冊も持っていたんだけど、捨てちゃった。

今、読んだらまた違って感じたんじゃないかな。

惜しいこと、しちゃった。

家事見習い

正式名称は家事見習いなのか家事手伝いなのか知らないが、わたしの母は洋裁学校を卒業後、実家で家事見習いをしていた。22才で父と見合い結婚をした。

母は娘のわたしも大学を卒業したら、当然、家事見習いをするものだと考えていた。わたしは大学のころから女性の自立やウーマンリブに興味を持ち、影響を受けていたので、卒業後は働いて当たり前だと考えていた。

結婚も見合い結婚なんてする気はなかった。しかし、母のお知り合いの方からお話があって、母に言わせると、その方の「顔を立てる」ために、一度、男の人に会ったことがある。可もなく不可もない、ごく普通の男性だった。こちらには結婚する意志がないのにお見合いするなんて、失礼な話である。で、丁重にお断りした。

 

昨日の同窓会のメンバーはほとんどがお見合い結婚だった。なんだか意外だった。あの時代の若い女性はみんな当時の新しい女性の生き方に賛同しているものだと思っていたのに、わたしは少数派だった。

うちの娘たちは2人とも恋愛結婚で、彼女たちの友達もそうみたい。

 

まぁ、キャリアウーマンでも家事見習いでも、本人が納得して生きてればどっちでもいいや。

同窓会

本日はまたもや同窓会。

中高の時の同級生、今回は8人でプライベートな同窓会だ。

学校の同窓会は好きではないので、いつもわたしが幹事で2,3年に一度、気の合う人たちに声を掛けて集まってもらっている。

女子校だったので、女性ばかりの会だ。

今朝はちょっと気合を入れてお化粧した。自分が一番ふけてたらいやだから。

で、相方に「共学の同窓会ってどんな感じ?」と聞くと「始めは女の子は女の子ばかりと話してるけど、そのうち混ぜこぜになってしゃべる。昔きれいだった子より、目立たなかった子の方がきれいになってたりする」という。

昨年、古稀同窓会だったはずだ。70才になっても「女の子」なんだ。うらやましい。

今日、集まる人たちはバイオロジカルに祖母である人が多い。でも、みんな若々しくておばあちゃんには見えない。

でも、Mさんみたいに死んじゃった人もいる。

生きてるだけでありがたい。おまけに元気なら、なおありがたい。

 

楽しんできます。 

雑食性

昨日のハロウィーンも大騒ぎだったようで、お疲れ様。

農耕民族の日本人にとってアニミズムが宗教、いや生活の基本だった。キリスト教の教育を多感な年ごろに10年も受けたわたしでさえ、山や木がご神体の神社では自然に手を合わせる。血の中に流れているものがあるのだろう。

明治の文明開化で政府は近代化=西洋化と考え、この150年の間に沢山の西洋文化を取り入れた。そして今や日本はハイテク産業の先端を行く国となった。

洋服を着てステーキを食べコンクリートの家に住み、ネットで世界中の情報を手にしている。

何という柔軟さ、何という雑食性。

後戻りはできない。してほしくはない。

しかし、何でもかんでも目新しいものに飛びつくのはどうだろうか。

取捨選択するのはあなた自身だ。何を選ぶかであなたはあなたという人間を作っていっている。

 

1億のあなたたち、わたしたちがこの国を作っているのだ。