場所と人

今週のお題は「住みたかった街」なのか「忘れられない街」なのか。

どうしていつも微妙なずらしかたをするのか分からない。

 

阪神間で生まれ育ったわたしにとって住みたかった街は、ベタだがやはり芦屋だった。

それも山手。

でも今のわたしにはあの坂道はきつすぎる。皆さん、車でお買い物に行かれるのだろうか。めんどくさいね。おまけにご近所付き合いを考えると、気づまりでもある。

一番住みたくなかった街は大阪の下町。同じ関西でも言葉が違う。それに他人んちに土足で上がり込んでくる感が暑苦しく思えた。

それが今や大阪の下町に住み、大阪弁がつるりと口から出てくるようになった。

すっかり馴染んだように見えるだろう。実際、気楽に楽しくくらしてはいる。

でも、わたしの中には相変わらず違和感がある。

仲良くしているお隣のIさんところはわたしのことを「マダム」と呼んでらっしゃるらしい。すぐそばにあるスーパーへ買い物に行くのも、ジーンズにシャツやカーディガンという家ん中の恰好で出掛けるわたしのどこが「マダム」なのか。

何となく皮肉っぽく感じるのはわたしの性格の悪さ故だろうか。

「住めば都」なんて嘘だよ。場所じゃないんだ。誰と住んでるかなんだ。

 

忘れられない街がある。ソ連だったころのロシアのカリーニンという街だ。いや、町だ。40年以上前のことである。田舎ではなく町なんだけど、わたしが子供のころのわたしの故郷に似ていた。地道に木の塀があり、その上から木の葉や花が顔をのぞかせていた。お風呂屋さんがあり、名もなき(あるだろうけれど)川が流れ、遠くに沈んでゆく夕日を見ていると、心に母の姿が浮かんだ。恋人がいれば彼の姿が浮かんだのだろうけれど。一緒に夕日を見る人がほしいと思った。

 

場所と人は大きく関わっている。