淡い記憶
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
70年近く生きていれば、記憶に残る印象的な日は山のようにある。
小学校4年生で事故に遭い左上の門歯を折り血だらけになった日、中学受験に受かった日のこと、高校のクラスメートが自殺したこと、大学受験に失敗した日のこと、父に箸の上げ下ろしで殴られた日のこと、相方と出会った日のこと、初めての出産、ママさんバレーボール、スコットランド訛りの英会話教室、娘の結婚式、父の葬儀、娘の出産などなど。
いいことのあった日、悪いことのあった日、わたしの頭の中の検索欄にキーワードを打ち込めばストーリーがずらりと出てくる。
少なくともわたしがある程度の年齢になってからでなければ、記憶は残ってないけれど。
相方は3才の時からの記憶がある。
わたしは記憶力が悪くて、幼稚園の記憶が微かにある程度。
わたしは両親の初めての子として生まれた。3年後に弟が生まれた。
普通、男親は娘を可愛がると言うが、うちは違った。
父は弟を舐めるように可愛がり、性格が父に似ているせいかわたしは疎んじられた。
前述したように、会社で何かあったのか、大学生になってお化粧もするようになっていたわたしに父が箸の持ち方がおかしいと突然、言い出し、わたしがそれに対して「え、でも」と言った途端、頬を殴られた。
父は白のセーターのオフタートルの部分を握ってわたしを椅子から引きずり下ろした。
わたしはすぐに3軒隣の母の実家へ逃げた。
それからわたしは父と一切話をしなくなった。
しかし、1つの淡い記憶があった。
母の兄は18才で戦死した。
父は長女である母の家へ婿として迎えられた。
母の実家の3軒隣に家を建ててもらって、その家でわたしは生まれ育った。
父の実家は歩いて30分はかかる山手にあった。
毎年、正月2日に父の実家へ新年の挨拶へ行った。祖母がご馳走をふるまってくれるのが楽しみだった。わたしは小さいころから体の大きな子でよく食べた。
その年もわたしはご馳走をもりもり食べていたのだが、急に気持ちが悪くなった。
すると父が「風に当たったらいいかもしれん」とわたしを散歩に連れて行ってくれた。
いつも弟ばかり可愛がる父が、わたしの手を取ってゆっくり坂道を歩く。
わたしは嬉しくて、気分の悪さなどどこかへ飛んで行った。
あの時だけはわたしの優しいお父さんだった。
わたしはその記憶を心の奥に秘めながら、父と家の中で顔を合わせないようにして暮らし続けていた。
父に殴られてから10年ほど経って、わたしと相方の結婚をまず父が許してくれたことから、わたしの父を見る目が変わった。
結婚を許すと言った以上、相方のことも彼の娘のこともすべて受け入れ、きっちり筋を通した。
相方は無口な男だが、父とはよく話をしていた。父も相方を気に入っていたようだ。
父は79才で肺がんで亡くなった。
本当に悲しかった。
もっと父と話したかった。
わたしの心の中にはいまだに、わたしの手を取ってゆっくり歩く父がいる。