卒論

又吉直樹の「劇場」読み終えた。

 

前回「火花」を読んだ後、わたしがブログに1番最初に書いたのが、一文の長さについてだった。

物覚えが悪くなってるわたしには、主語が何だったか、何度も読み返さなければならなかった。これは最初の方のページだけで、あとはそうでもなかったけれど。

 

今回、読んだ「劇場」を又吉は「60ページほど書いて、一旦原稿を置いた」らしい。それから、まず「火花」を半年ほどで書き終え、「その後、すぐに『劇場』に取り掛かろうとしたが、小説を発表したことで仕事や生活に少なからず変化があり、なかなか思うようには進められなかった」そうだ。だから「劇場」は2年以上の時間を掛けて書き上げた。

このように「文庫のためのあとがき」に又吉自身が長々と説明している。

 

「劇場」を読み始めてから、わたしはふと思いついてネットで又吉の無季自由律俳句をチェックした。

それで全部、合点した。

 

彼の文章は修飾が多い。単に体言を修飾するのみならず、文章に文章を重ね続けることで修飾する。しかし、その文章たちが有機的に結びついているので、取り外すことはできない。

で、またまた頭の悪いわたしは、その文章がどこから来てどこへ行くのか、分からなくなる。

何十年も真っ当な小説を読んでいないわたしには判らないけれど、今どきの小説というのはみんな、こういう難しい物なのかもしれない。

しかし、修飾を除いていったら、不器用な主人公が大切な恋人を傷付けて失ってしまうという陳腐なお話が残るだけではないか。

 

その修飾部分に当たる文章が彼の自由律俳句と重なる。

作品中の多くの文章がそれぞれ句として確立しそうに思えるのだ。

非凡な才能なのかも知れないが、わたしは好きではない。

 

と言うことで、わたしはたった2作品で、勝手に又吉を卒業させていただく。