個性的

わたしは見た目で「個性的」と言われることが多い。

単にごっつい身体つきをカバーするための苦肉の策であるだけなのだが。

中学生のころからだから、もう半世紀以上「個性的」を続けている。

いつからか「個性的」はわたしの当たり前になり、今や「個性的」がわたしの個性となった。

 

見た目には生き方が出てくる。特に顔だ。その人らしさが、60年も生きていると顔に出る。化粧をしてもにじみ出てくる。その人らしさという個性は生き方で決まる。

つまり、個性というのは生き様でもあるわけだ。

わたしの生き方も確かに少々「個性的」だった。若いころはパワーがあったので、どうせ人生一度きり、だったら自分の思うような生き方を、と突っ走っていた。

もうあんなパワーはない。でも、若いころからの「個性的」な見た目は、習慣というより第二の皮膚みたいになった。いや、そんな大層なファッションをしているわけではない。ジーンズとTシャツが定番で、60代のうちにハイヒール、6センチ程だけど、を履いておこうとしているだけの、バイオロジカルには祖母である女だ。

ただ、自己満足の「個性的」が、ひとから見て「痛々しい」になるのが怖い。

わたしのファッション指南役の仲田君には、そんな感じがしたら絶対に言ってね と頼んである。でも彼は「そのままで大丈夫ですよ。好きな服、着続けてください」って言うんだけど。

ま、いいか。わたしはわたしだ。