安い?安くない?

昨日、22日の午後、みなさんのブログを読ませていただこうとパソコンを開いた。

ログイン出来ず、Yahooのメールが開かない。パスワードを入れるよう指示が出た。

IDは覚えてるんだけど、パスワード忘れちゃって、(だって20年前に作ったんだよ)いろいろ試したけどだめで、じゃあ、パスワードを変更しようとしたが、これも上手くいかず。

真っ青になった。

メール数が8になってる。たぶん今度の吟行のお知らせなど、俳句関係とコマーシャルだ。

昨夕の内にEdionへ電話して、今日の3時ごろに来てもらった。

昨夕の電話に出た女の人は「悪くすると3万円くらい掛かります」って言ってたので、ドキドキだった。

 

若ーい細い青年で、わたしが説明すると、チョイチョイチョイとどこか触って「パスワード、これと違いますか?」「あー、それだ」

あっという間に終わった。

6000円ほどだったけど、有難く払わせていただいたよ。

 

いつも思うんだけど、わたしの世代でも、もちろん、パソコンや携帯に詳しい方もいらっしゃる。

でも、わたしにとっては、知らない生き物を飼ってるみたいなもので、何時なんどき、どんなことが起こるか分からないし、治しようも分からない。

でも、今さら、なしでは暮らせない。

 

6000円は我が家にとって決して安くない。

でも、また機嫌よく楽しめるのなら、安いとも言える、かな?

30年

先日、半年ぶりに歯医者さんへ行き見てもらった。

みなさん、覚えてらっしゃるかな。

例のポニーテールの金太郎さん。

虫歯はなくてよかったが、歯茎が下がっていて「冷たいもの、熱いものが沁みるでしょう、こまめにクリーニングをしてチェックしましょう」と言われたので、今朝、いつもの歯科衛生士さんに予約入れて、チェックしてもらった。

薄い茶色の小さな点があるらしいが、まだ虫歯ではありません、削ると反ってよくないので様子を見ましょう ということで、ひとまず安心した。

 

この1カ月ほどかけて、非常食をいろいろ調べて、昨日、最後のを申し込んだ。

何しろ、パソコンが大の苦手だから、皆さん方なら半時間ほどで決めて申し込めるんだろうけど、わたしには1か月を要した。

 

水は近いうちに相方の目の調子がいい日に車で何箱か買ってきて、ローリングストックで、2人分だから常に2リットルのボトル1日3本カケル7日で42リットルは最低うちにあるようにするつもり。

 

非常用トイレは、2月に友達に頼んで代引き(代金引換のことなんだね)で送ってもらって一応相方の物置部屋に置いてある。

 

後はこれらをしまう場所、すぐに出せる所で、を作らなきゃならない。

廊下の物入れをこれに充てたいんだけど、まあ、要らないものがいーーっぱい。

 

することは山のようにあるのに、相変わらず倦怠感は抜けきらず、気ばかり焦る。

 

昨日、買い物帰りに信号待ちをしていた。

横で赤ちゃんがお母さんに抱っこされて気持ちよさそうに眠っていた。

 

巨大地震が30年以内に起こる確率は70%だとか。

この赤ちゃんが30才になるまでのどこかの時点で地震が起こるだろうということだ。

え、わたし100歳になる。

生きてればだけど。

 

同じ来るなら、自分で動けるうちに来てほしい。

人様の迷惑にはなりたくないもん。

 

いや、死んでからの方が人様の迷惑にはならない訳か。

 

ま、いずれにせよ出来るだけの備えをしておこう。

長ーい目で

もう18日もブログ、書けてない。

 

俳句の方も2月になって時々、顔を出せるようになったが、五七五で季語が入っててもわたしの書いているのは俳句じゃない。俳句もどきだ。

以前は兼題を見たり、嘱目と触れたりしていたら、上手い下手は別にしても、何か頭に浮かんできてたのに、それが浮かばなくなったんだ。

ブログもタイトルも決めずに書き出しても、たたた と書けたんだ。

それが考えても書けなくなっちゃった。

 

ブログには俳句よりもたくさんの友達がいる。

本名も歳も顔も知らないけれど、その人のブログを読めば人となりはよく分かる。

みなさん、一生懸命、人生を生きてらっしゃる。

失礼な方も誰もいらっしゃらない。

わたしはブログを通じてみなさんと知り合った。

ブログはわたしにとって大切なツールであり、人生の楽しみでもあった。

 

それが書けない。

俳句も詠めない。

何故?

 

コロナに罹ったことは大きい。身体がすぐ疲れるのは、まだ完全には治ってないんだろう。歳のせいの部分も否定できない。

3月3日に胃カメラで調べてもらった。

異常なし!

 

じゃあ、何故?

歳のせいで心が脆くなっちゃったんかな。

 

毎回のように鬱陶しい話が混じる。

自分でそれがいやでしかたない。

 

でも、急ぐまい。

焦るまい。

 

上向きになるまでは、カメの歩みでのそのそと。

 

いずれ、元のわたしに戻るつもりですから、長ーーい目で見てやって下さいませ。

ジベル薔薇色粃糖疹 2

今朝、皮膚科へ行って来た。

 

1月31日にいつもの内科で見ていただいた時にもらった抗アレルギー薬と、2月3日に皮膚科でいただいた塗り薬はわたしに合ったらしく、3,4日で赤い斑点は薄くなり出し、しばらくしたら薄茶色になり、それも次第に消え出し、今は薄い茶色の小さな点々が残るのみ。

「最初の内科の処置が早かったから、たった2週間でこんなにきれいに治ったのでしょう。その内服薬はもうしばらく続けた方がいいでしょう。こちらで出しますか?それとも内科でもらいますか?」

「もうすぐ内科へ行くつもりですから、内科でいただきます」

 

ヤッホー!

ネットで調べたら、ほっておいても2,3カ月で直るそうだけど、お医者さんへ掛かったら1,2カ月で直るって書いてあった。それが2週間だよ。

コロナをまだ引きずって、しんどい日も多々ある中、久しぶりに自分の治癒力に勇気をもらった。

 

あ、粃糖疹の粃は「しいな」と訓読みし、実の入っていない米の殻のことらしい。

治る際に薄い皮が張って、それが自然になくなるらしいが、その薄皮のことだろう。

ちなみに、わたしにはなかったけど。

 

まあ、これでもうしばらくしたら、お腹や背中や腰の薄茶の点々も消えるんだろう。

 

楽しみだ。

ジベル薔薇色ひとうしん

「ひ」は米偏に比、「とう」は糖、「しん」は「疹」と書く。

 

30日の月曜日、お風呂へ入ろうと服を脱いだら、お腹まわりに赤い大小のブツブツが沢山出来ていた。痛くも痒くもないんだけど、相方に見てもらったら背中や腰の周りにもあるらしい。

火曜日にいつもの笑顔よしの内科のA先生に見てもらったら「ヘルペスでも帯状疱疹でもありませんね。何かアレルギーはありませんか」と聞かれた。「耳鼻科関係から食べ物に至るまで一杯あります」と言うと「だったら、何かのアレルギーだと思います。アレルギーを抑える薬を1週間分出しておきますので、3日たっても治まらなかったら、皮膚科へ行って下さい」と言われた。

 

昨日、金曜日、3日経ったけど治らないので、朝から自転車をこいでH皮膚科へ行った。けっこう遠い。たまたまH先生じゃなく、女医さんに見てもらえた。ラッキー!A先生にぶよぶよのお腹を見てもらった時はすごーく恥ずかしかったんだから。まだ、女性同士の方が気が楽だ。

女医さんは「ああ、これはジベル薔薇色ひ糖疹と言います」と紙に書いて下さった。

「しばらくしたら薄い皮が張ってきて自然に治ります。一度掛かったら、もう一生かかりません。でも治るのに1か月以上、掛かるかもしれません。ただしアレルギーの薬を早めから飲んでいるから、早く治まってくれるかもしれません」とおっしゃり「同じ薬と塗り薬を出しておきます。来来週の火曜日に来てください」とのこと。

で、薬をもらって、また自転車をこいで帰った。すごーく寒い朝で、家に着いたらしんどくて、相方に塗り薬を塗ってもらい、ベッドでうつらうつらしてた。

 

結局、昨日は彼に買い物に行ってもらい、晩御飯も作ってもらった。残り物のジャガイモや人参、大根に鶏肉を入れた煮物、あったかくて美味しかった。一応、節分だから とスーパーの太巻きのちょっといいやつ1本を半分こして食べた。

コロナがようやく抜けかけてくれそうと思っていたのに、抜けきらないうちに、今度は皮膚炎。

 

何時になったら元気なわたしに戻れるんだろう。

養生

22日から24日の2泊3日、滋賀県へ行った。

旅行と言うより、抜けきらないコロナの倦怠感を少しでも減らそうと養生するためだった。

 

だから、22日は着いてもどこへも行かず、ずっとお部屋の窓から道一本へだててすぐの琵琶湖を見ていた。

竹生島と何本もの長い堤防の線が琵琶湖に表情をつける。

久しぶりに俳句が詠めそうな気がした。

未完成がいくつかだけ。

それでも2カ月ぶりの句だ。

嬉しかった。

ご馳走をいただき、お酒を楽しんだ。

久しぶりに美味しいって思った。

寝る前に大浴場へ行ったら、貸し切り状態で一人っきりだった。

相方は早々とテレビを見ながら眠ってしまってたので、わたしはいつものように12時に導眠剤と安定剤を飲んで、ベッドに入った。

でも、眠ったような眠れなかったような感じだった。

 

翌23日、7時前にあきらめてごそごそ起きたら、相方も起き出した。

早めの朝食をいただき、お土産を少し買って、バスで駅へ。

そこから2軒目へ北周りで行く予定だったのが、ポイントの故障か何かのせいで、来た線を山科まで逆行し、そこから北向きに行くことになった。泣く子とJRには勝てない。

2軒目の方が新しくて大きかったが、琵琶湖は遥かむこうだった。

俳句の種を探したがなかなか見つからない。

あきらめて、トランプや将棋などを貸してくれると書いてあったので、花札を借りて相方と二人で遊んだ。いつも通り、わたしの負けだったけど。

ここの方が食堂もりっぱで華やかだった。でも、内容は1軒目の方がわたしは好きだった。久しぶりに飲んだワインが美味しかった。

クリスマスイブからコロナでお正月もなかったから、2軒のご馳走はわたしの目も口もおなかも楽しませてくれた。

で、この日は前夜、あまり眠れなかったので、11時半にはお風呂も済ませ、薬も飲んで、早めに寝ようとした。でも、浅い眠りで、起きた時も軽い頭痛がした。

 

24日朝、わたしが生あくびをしていると、相方が部屋の露天風呂に入ってきて「体を温めたら、すっきりするよ」と勧めてくれた。

入ってみたら、朝湯ってほんと、気持ちがよかった。

お化粧をして、ゆっくり目に朝食会場へ行った。

もうすいていて、のんびり朝ご飯をいただき、お土産物屋さんで自分たちのお土産を少し買って帰途についた。

この時にJRが遅れだしていたのが、後から日本中で雪が降る寒い日々の先駆けだったんだ。

 

わたしたちが大阪にお昼過ぎに着いたら、うんと北にある滋賀より寒かった。

 

夜、ベランダとリビングの間のガラス戸の内側がびしょびしょになり、何度もタオルで拭いた。

 

昨晩は結構眠れた。

でも、朝から寒くて、外に出るのに勇気がいった。

 

せっかく養生に行ったのに、また、お家にこもってしまうよ。

 

自然にはかなわないし、身体もまた、自然の一部なんだ。

 

逆らうことはできない。

平熱

えー、まずは訂正。

2日の日に書いたブログの「後遺症」という言葉は違ってたみたい。

わたしは12月の24日に発症、25日に陽性の判定、31日で一応自分を隔離するのは解除されたけれど、1月1日から3日まではもしかしたらコロナの菌を出している可能性がゼロではないから、出来るなら人と接触しない方がいい。それで問題がなければ4日からは普段通りに生活できる はずだった。

でも、わたしは1月1日からの方が気管支関係のつらさや微熱、倦怠感が強かった。でも、それが何日か続くくらいは後遺症とは呼ばないそうだ。まだ、もろ、コロナの続きで、後遺症と言うのはせめて何週間も続いた症状のことらしい。

解除から12日経ち、気管支系はかなり楽になった。でも倦怠感はまだまだ残っていて、家事をちょっとしてはベッドで休み、の日々は続いている。

 

それから微熱について。

わたし、オムロンの10数年経つ体温計を電池も替えず使ってた。

大体、普通は35、7℃くらいで、これが自分の平熱だと思ってた。だから、36℃台だとちょっと熱っぽい感じがしてた。

コロナになってからも、ほとんど35、6℃前後だった。

それが1月8日に計った時、37、0℃で熱くって、ぐだーってなった。

念のため、相方が新しいオムロンの体温計を買ってきてくれたので、それで測るようになったら、ほとんど毎日36℃を超えていた。

昨日は36、6℃でだるかった。今朝は36、1℃。でも、熱くもないししんどくもない。

要するに、古い体温計、実際よりかなり低めに表示されてたのに気付いたんだ。

 

いずれにせよ、36、5℃もあればちょっと熱っぽい感じがするから、ああ、微熱があるな って思ってたんだ。でも、オムロンの説明書に、日本人の平均的な体温(健康時)は約36、89℃±0、342だって書いてあった。つまり36、5℃から37、2℃くらい。もちろん、大人も子供も全部ひっくるめてだと思うけど。

だから、平均的な体温からすれば、36、5℃なんて微熱の内にははいらないんだ。

新しい体温計を使い続けていかないと自分の平熱は分からない。

いずれにしても、わたしの平熱は低そうだけど。