2003年
どこの家でも悪い年というのがある。
わたしの家の最悪の年は2003年だ。
当時、元旦は相方の実家、2日はわたしの実家へ年賀に行っていた。
2003年1月2日、娘たちを乗せてわたしの実家へ車を走らせていた時、追突された。後部座席の娘たちは大丈夫だったのに、相方とわたしは軽いむち打ちでしばらく通院した。わたしは完治しなかったんじゃないかな。
その後、父のガンが悪くなり入院したので、それどころではなくなったのだ。
と、言っているうちに相方の胃の調子が悪くなり、調べるとポリープがいくつかあるが良性か悪性か取ってみないと分からないと言われた。で、入院することになった。
入院の2日前、愛犬のマーチがたった一晩で死んじゃった。生まれつき心臓が弱かったらしい。ビーグルには多いと後で聞いたが、あの日まで元気一杯だったのに。
ゆっくり悲しむ暇もなく、相方の入院、手術で、結局、胃のも、ついでに調べた腸も悪性のポリープ、つまりガンだった。幸い早期発見だったのでそれから16年経つが、今んところ大丈夫。
長女の9月の結婚式には父も相方も出席できた。あの年の唯一よい思い出だ。
そして12月、父が亡くなった。
あの年は50才だったのでまだパワーがあった。だから、病院の掛持ちができたし、気持ちも強く持てた。
これから、同じような年にぶつかったら、わたしは耐えられるだろうか。
あまり自信がない。
それでも乗り越えてゆくしかないのだ。
大丈夫。
きっと乗り越えてみせる。
小春日和
今、わたしの頭ん中は「小春」で一杯。
ある句会の11月の兼題なのだ。
「小春」は初冬の季語で陰暦10月の異称。傍題は小六月、小春日、小春日和、小春空、小春風、小春凪。
立冬(今年は11月8日)を過ぎてからの穏やかな日和のことなので、今日のような穏やかで暖かい日でもまだ立冬に至らない、つまり秋の終わりとは微妙に違う。
例句を読んでみたが、やはり暖かくて自然や生活に根ざした句が並んでいた。
もう一つの兼題は「蓮根(はすね)掘る」。こちらは人が働く様子なので、とても具体的だ。だから、例句にも人の姿が見えるものが多い。
何が言いたいのかと言うと、人事句が好きなわたしなので、蓮根の方が詠みやすく、小春に行き詰ってる んじゃないんだ。
小春日和は今までの人生で何度も経験している。でも、蓮根掘りは実際に見たり掘ったりしたことがない。
結局、2つの兼題はともに現時点では想像して詠むことになる。
小春は、冬至が過ぎてから句会まで10日ほどあるので、実感で詠むことができる だろう。
蓮根掘りはネットでしっかり調べて詠むしかないなぁ。
それにしても、今日は小春日和もどきのよい日だ。
唱歌「紅葉」
今日はひんやりしたせいか、朝から頭ん中で「紅葉」の曲が何度も聞こえた。
確か小学校の時、二部合唱で習った。
秋の夕日に照る山紅葉
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓や蔦は
山のふもとの裾模様
1行目の「照る山紅葉」に引っかかってしまっていたのだ。
子供の時は「照る山」と「紅葉(もみじ)」の二つに分かれ、単に夕日に照らされた山があって、もみじも紅葉していると思っていた。
それが最近「山紅葉」というカエデ科の植物があることを知り、歌詞も「山紅葉」の事かもと考えたりした。
しかし、2行目以降、「濃いも薄いも数ある」とか「楓や蔦」で「裾模様」ときた。
それでようやくこの歌の「紅葉」は「秋に木の葉が赤や黄色に色づくこと」なんだと分かった。
小学唱歌を理解するのに半世紀以上かかってしまった。
失くし物
2日前の土曜の夕方、夕食の買い物しに家を出た。
何だか変な感じがした。
いつものようにムクドリが屋上に止まったり飛んだりしていた。
下に降りてスーパーに向かった。例の交差点のそばのスーパーだ。やけに車の騒音が大きいように思えた。
買い物を終え、スーパーを出て、ようやく気付いた。
交差点の木が1メートルくらいの高さの所で3本とも切られていた。
ムクドリたちのお宿だった木だ。
南西の花壇はそのままで、他の3方の大きな木がみんなバッサリだった。
10年以上前からあの交差点の近くの住人から苦情が出ていたのは知っていた。
大阪市はようやく伐採(とは言わないか)したようだ。
そう言えばあの日の屋上のムクドリは妙におとなしかった。数も少なかった。
相方はその2日前の朝にそばを通った時にすでに切られていたというから、遅くとも水曜には切られていたということか。
あの木は雨の日は雨避けになり、暑い日には日陰を作り、わたしたちにとってはよい木だった。もちろん、ムクドリたちにとってもヒルトンか帝国ホテルクラスのよい宿だった。
ムクドリたちがまだ屋上にいるのは、情報が伝わっていないせいか、あの木を惜しんで見に来ているのか。
夕方の喧騒はましになったが、何か失くし物をしたような気もする。
プレゼント
昨日のお誕生日は楽しかった。相方と二人だけだったけど、昔の彼女や彼の話して、ワハワハ笑った。お酒も料理もおいしくて、大満足だったけど、プレゼントなしだった。
いつもだったら、自分で事前に買うんだけど、ここんところ、俳句でパタパタしてたので。
プレゼントでほしいものが2つあって迷ってる。1つは香水。この夏の初めに、大好きだった(わたしにとっては)超お高いオードパルファムを使い切った。夏場は汗かきなのでパルファムではすぐ香らなくなるし、間に合わせにできないかと、持っていた香水をチェックしてみた。何と40年前にもらった香水やオードトワレなんかも出てきて、みんなアルコールが飛んで茶色になっていた。もったいないけど使えないので捨てた。頂き物のシャネルの5番の香水だけは大丈夫な状態なので、夏の間、使っていたが好みじゃない。だから香水かパルファムがほしいなと思ってる。
もひとつはポーラ化粧品のシワを改善する薬用化粧品。2年前に発売されてたらしいんだけど、様子見してた。最近、よくテレビで取り上げられてる。ほしいなと思ってネットで調べたら、来年の1月1日に新しいタイプがお安くなって発売されるらしい。
ということで、今度、百貨店へ行ったら、香水のコーナーへ行く。
給料袋
今日は66回目の誕生日だ。
今晩は相方と2人で例のちょっと上等なお店でお祝いする予定。
母の話によると、わたしは初めての子だったのもあり難産だったらしい。で、明け方生まれたらしい。それが10月25日だった。
毎年、誕生日の度に母が言っていた。
「もう一日後だったらよかったのに」
当時、給料日は大体どこの会社も25日で、父は袋に入った給料を家へ持って帰り、生活費を母に渡し、小遣いを取り、残りは郵便局か銀行に入れていたんだろう。
だから25日の夜にわたしの誕生日を祝おうとすると、母は前々から少し余分に残るように工夫しなければならなかった、ようだ。
バースデイケーキにロウソクを年の数立てて、それを吹き消す。あれは何だかうれしかった。小学校6年頃までだったかな。
わたしが働き出したころの給料は振り込みになっていて、ペロンとした明細書が渡されるだけ。お金は必要に応じて引き出した。それでもやはり給料日は25日だったなぁ。
そう言えば相方の働いていた彼の実家の鉄工所は、最後まで25日手渡しの給料だった。なんだか給料袋が懐かしい。