鬼平犯科帳(三)
午前中にやっと読み終えた。
去年の11月に、鬼平役をしていた歌舞伎役者の中村吉右衛門が亡くなり、急に原文を読みたくなったんだ。
読むなら(一)からだが、BOOK・OFFにはなかったので、やむを得ず(三)にした。
手を付けた始めたのだが、なかなか進まない。
おまけに後90ページばかりのところで、地震やらオミクロンやらで本を読むゆとりはなくなってしまった。
で、1か月以上ほっておいて、昨晩11時ごろ、内容を忘れちゃってるので前へ戻りつつ、少し読み進め、今朝、ようやく読み終えた。
一番の感想は違和感である。
まずは池波の文体。会話文はもちろん、地の文も文語風だが、表記は文語ではなく今の字が用いられている。
それから人物像の違い。鬼平も忠吾も久栄もみなテレビで描かれている人物より重みがあってリアルなのだ。
総じて江戸の町も田舎も役所も屋敷も店も、すべて小説の方が土の匂いがして空気も濃い。
池波の小説は間違いなく、ずっしりと、しかし飄々と江戸の世界を描いている。
ああ、それでも、初めにテレビの鬼平を何作も、再放送でもまた、何度も何度も見てしまったのが仇となった。
二代目のあの顔が小説を読んでいても浮かんでしまって、小説の鬼平とのギャップが生じた。
わたしがテレビで鬼平を見ないで小説を読んだとしたら、どうだったんだろう。
やめとこ。
人生に「たら、れば」はない。