花を活ける

今朝は久しぶりに雲が少なく、エアコンや床暖房も要らない。

目の前には3週間も経つのに、まだきれいなお正月用の盛り花がある。

松や菊、南天は変わりなく、紫の葉牡丹の背が伸びただけである。

さすがに薄緑と黄色の不思議なラナンキュラスと、白と紫の名前を知らない初めての洋花は枯れかけているが。

右奥に金と赤の水引をくるりと小さな輪にして「迎春」の熨斗が付けてある。

もちろん、買ったものだ。

 

以前は年末に花屋で花を買い活けていたが、出来合いのほうが綺麗で安価だ。それに近くにできた花屋さん、もう10年以上になるけど、の女性が若くてセンスがいいのだ。「水の低きに流るるごと」く、わたしは彼女に頼り切っている。

お祝いの花束、花籠も丸投げで、例えば「乙女チックにしてください」とか「ちょっと渋めに」とか言うだけ。必ずわたしの好みに合ったものを作ってくれる。

楽なのは確かなのだが、わたしは花をしげしげと吟味することも、組み合わせを考えることもなく、もちろん活けることもなくなった。

 

今年は花を買って活けるようにしよう。

それって、やはり生活のゆとりにつながると思うから。