大丈夫、大丈夫

今週のお題「眠れないときにすること」

 

17年前、母のお供でイタリアへ行った。

その旅行中に母の言動に母らしからぬことがあり、母はこんな人だったのか とわたしは驚き悲しんだのだ。

ところが、帰国後はいつもの母に戻り、わたしの気のせいだったのかと思っていた。

でも、これが認知症の始まりだったのだ。

 

母は父が亡くなってからは1人暮らしだったが、3軒隣の実家に11歳下の妹である叔母が1人で住んでいたので、2人で支え合って元気に暮らしていた。

 

10年ほど前のある未明、うちの寝室の電話のベルが鳴り響き、驚いて取ると母だった。

「まりちゃん、あなた、なんてことしてくれたのよ」

大声でわめいている。

「ママ、落ち着いて。何があったの?」

「え、あ、何やったんやろ」

「ママ、夢よ。大丈夫。何も怖いこと起こってないから」

「ああ、夢。はあ、そうか、夢ね」

で、ぷつりと切れた。

 

それから、昼夜の別なく母から電話が掛かってくるようになった。

今切ったと思うと、すぐまた掛かってくる。

直前の電話は母の記憶にはないのだ。

「元気?どうしてるの?たまには電話してよ」とかけて来て、しばらく話をして、切ると、すぐ判で押したように同じ内容の電話が掛かってくる。1時間に5回掛かってくるのもザラだった。

しばらくはコードを抜いたりしたが、1日中ずっと抜いておくわけにもいかない。

 

そうしているうちに、わたしは電話恐怖症となり、同時に不眠症となった。

母には携帯に変えたから、古い電話は掛からないと嘘を言い、携帯の番号を教えた。携帯なら夜はリビングに置いて音量を下げておけば少なくとも寝室までは聞こえない。

それでもやはり眠ることが出来なくなっていた。

 

現在2か月に1回、お世話になっている心療内科のK先生とは、そのころからのお付き合いだからもう10年にはなるな。

K先生は今、80歳くらいで、いつも優しい微笑みを浮かべ、わたしの話を聞いて下さる。

初診も、わたしの前後する母に関する話を静かに聞いて下さり「まずは寝ることやな。導眠剤の一番弱いの、一生飲んでも問題ないのを処方するから、それ飲んで、様子見て下さい」

この薬のお陰で眠れるようになったら、心も落ち着いていった。

 

それからも母は携帯に、1日に何度も何度も電話を掛けてきた。

午前中は少ないが、午後と夜が多かった。

 

しかし、今はもう、母は電話をしてこなくなった。ベッドで寝ていることが多くなったし、携帯の長い番号を電話帳を見ながら掛けるのだが、最初の2つ3つの数字を覚えることも出来なくなったのだと思う。

コロナで実家に行けなくなったので、今は叔母に電話して母の様子を聞いている。母はもうわたしを忘れているかも知れない。

 

最近は1mgの一番弱い導眠剤を飲まないで眠れていることが時々ある。

ところが朝方に目が覚めてしまい、それから眠れなくてやっぱり導眠剤を飲む羽目になる。

朝寝坊が余計に起きられなくなる。

 

K先生のやさしい声が聞こえる。

「無理しないで薬飲みなさい。一生飲んでも大丈夫だから」