わたしの時間

3月になって、他教室や句会を再開するお知らせが続いた。

今の大阪ならマスクして消毒用アルコール持ってれば、何とか電車に乗って行ける。

メンバーに会えるのも、嘱目(季語、もしくはそれに関わる物や写真、パンフレットなど。何度も書いてすみません。初めての方もいらっしゃるかもしれないので)や映像を見ての句会も楽しみ。

でも兼題(まあ、宿題みたいなもの)でいくつか句を作っておかないといけないし、いつもの教室は今週、5句出しだし、今、頭ん中、俳句だらけ。

1年前、よくこれだけの数をこなしていたなと我ながら感心しちゃう。

でも、結果は無残なもので、大量生産は品質を落とす。

わたしだけだよ。先輩方はいつも一定の高いレベルを維持なさってる。

 

で、現在。

わたしはいつも書いてるように、俳句の形はしてるけど自分で俳句と認められない句がほとんどなんだ。

自ずと数が足りなくなる。

だから、昨晩はテレビも見ず、歳時記片手に鉛筆動かし続けてた。

 

このごろ読む力はついてきたと思う。

でも、詠む力はまだまだ。

花鳥諷詠の句もちゃんと詠めず、取り合わせの句も浮かばず、自分らしい句も形が定まらず、何を拠り所にしていいのか分からない。

 

皆さん、こういう時期を乗り越えられてきたんだろう。

まだ先は遠い。

わたしの時間は足りるのだろうか。