俳句と季節

わたしのホームグラウンドの俳句教室は第1、第3木曜日なのだが、今月はお盆で第3の代わりに第5である。月1回の吟行も暑いので投句となった。第3火曜日の嘱目を持ち寄っての句会までまだ1週間あるし、要するにだらけてしまって、俳句が詠めない。

詠めない訳はもうひとつある。こっちの方が大きい。

俳句の季節の変わり目は立春立夏立秋立冬である。それぞれ、2月4日、5月6日、8月7日、11月8日くらい。今年は8月8日が立秋だった。梅雨が後ろにずれ込んだせいで、ようやく夏らしくなったころだ。夏休み、水着、サングラス、浴衣、冷房、汗疹、心太(ところてんと読むのだよ)、アイスクリームなどなど、これからじゃん。これら夏の季語はもう、使えない。秋の季語で皮膚感覚に近いのは残暑くらい。あとは冷やかとか爽やかなんて傾向の言葉ばかり。

わたしが子供のころは部屋の中に蚊帳をつって寝てた。30度もある日はすごく暑いと思い、冷房なんてあるうちはなかった。そのころの生活なら歳時記にこれほど違和感は感じなかっただろう。

それから半世紀以上の時が経った。その間、多くの俳人が歳時記を何とかしなければと努力なさっただろうと思う。でも、新しい季語は出てきても、肝心の季節の定め方はまだまだ昔のまま。温暖化に歯止めなんか絶対、かけられない。

まだ見ぬ季節の動植物や感じぬ風を想像で書くしかないのだ。

正岡子規の提唱した写生はどうなるのだ!

伝統俳句はどうなるのだ!

 

ふーっ、興奮したら汗、かいちゃった。冷房してるのに。

今日の大阪の最高気温は37度だとさ。歳時記の世界では秋めいているはずなのに。

どなたか俳句の偉い先生方、お願いですから現実に即した歳時記の再編をお願い致します。